スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

神は言葉を喋らない

スピリチュアルな探求を続けていくと
聖なるものや、大いなるもの
または、神とコンタクトが取れた!
と思える事が、あるかも知れません


その体験の中には
多くの本物もあるでしょう


しかし
もしその「聖なるもの」が言葉を喋ったり
意味のある概念的なものや、具体的なもの
または、肌理の粗い感情を伝達するならば
それは、偽物です


容赦なく切り捨てる必要があります


大いなるものや神は、けして言葉を喋りません
それは、意図もなく人格もないのです


聖なるものが、何かを伝達する
といったような現象
バチカンなどが認める奇跡
などもあるようですが
それも、まず間違いなく偽物です


そして
これらを引き起こすエネルギーは
「意味」に訴えかける
正義や信仰やストーリーなどの
「概念」に訴える
恐怖や歓喜の様な「感情」に訴えかける
などの行為を見せるかもしれません


しかし
そうであれば、それはいよいよ
マインドレベルのエネルギーです
そこには、人為的な何かしらも
含んでいるかも知れません


少し不思議な自然現象であっても
元を正せば、とても低く小さなもので
まったく怖がる必要もなければ
それを畏敬する必要もありません
イメージとして現れるという事は
それはイメージを騙っている訳です


そして、それらの中でも
明確に言葉を喋るもの達は
間違いなくマインドです


それは
あなたのマインドが分割したものかも
しれませんし
集団のマインドが共鳴したものかも
しれません
独り言や無意味な反響のようなものです


世界中を探しても、言葉を喋るものは
マインドしかいないのです


そして
マインドというものは
元来、魂に癒着してそれを乗っ取った
意味や概念や感情です
真理とは真逆なものなのです


禅宗の臨在が
「仏に逢っては仏を殺し
祖に逢っては祖を殺せ…」
と言っているのは
本当の真理を探すためには
「仏」という仏を騙る意味や概念
創始者」という創始者を騙る権威などに
惑わされることなく
そのマインドのレベルを超えろと
言っているのです


これは
ブッタが悟りを開く少し前に
ネティネティと言って
これも違う、あれも違うと全てのものを
否定していった事にも似ています
たぶん、ブッタの場合
意味や概念や感情の否定だけではなく
その先の
存在の否定までやっているでしょう


話は戻りますが
マインドに話しかけ、これを惑わすものは
マインドと同じレベルのものだと
いうことです
もしそうで無いならば
マインドと話が通じて
マインドが反応する筈が無いのです


しかし
その惑わすものが、現われた時
確かに、それは少し厄介者であるのですが
ある意味チャンスでもあります
その時
あなたは、臨在やブッタの手法を再現
することが出来るからです


これは、厄介者が現われて初めてできる
中々貴重な体験です


そして
その厄介者を駆除するにあたっては
それの波長に捕らわれない事が大事です
しかし、捕らわれないようにしようと
すれば、逆にそれにフォーカスして
しまいます


なので、まず
自分の中心にある非個人性にフォーカス
します、それは探求者が
ハート、スペース、沈黙、静寂、愛と
呼ぶものです
覚醒した人の中には
これが光の柱として認識されることも
あります


そして
自分の中のこれに十分寛いだ後に
その厄介者の中心にもその非個人性を
ジャッジ無しで見てあげるようにします
すると
厄介者は見事に退散するでしょう