スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

夜明け前

天体観測好きだった子供の頃、
出所は失念しましたが、妙に忘れられない
ある記事がありました。


それは、高度に進化した宇宙生物に関する
記事で、「その生物と人類がコンタクトを
とる事を一番期待している者は天文学者
生物学者でもなく、言語学者である」
というものでした。


そして、そして言語学者が予測するには、
その人類より進んだ知的生命の言語には
私や我々という意味の単語は無いだろうと。


当時は良くわかりませんでしたが、なぜか
に記憶に残りました。


そして現在、スピリチュアルの世界、特に
アドヴァイタ系では、頻繁に言われている
基本事項があります。


それは、
マインドは私ではない、
身体は私ではない、
そもそも私というものは存在しない。
何かをコントロールする主体というものはない。
というものです。


言語学者が予測する宇宙生物像と少し共通
するところがありますね。


本当のところ宇宙生物云々はどうでもいい
のですが、この言語学者達の予測自体は
当たっていると思います。
もしかすると彼らには言語自体がない
かもしれません、
沈黙と静寂だけかもしれません。
そしてそれは人類の近い将来の姿かもしれませんね。


人がスピリチュアルに惹かれる動機は
偽りのない本当の幸福をもとめて
切実な苦しみからの脱出、
または、宝探しのような知的好奇心、
自分でも理由が分からないが、なぜか
惹かれる、等々があると思います。


そして、共通する感覚は、
みんなが夢中になって楽しんだり
悲しんだりしている事が、
時折、何か遠くにあるもの、
昔の事のように見えてしまう。
みんなが演技をしているように見えて
少し滑稽に感じる。
若しくはその演技が少々鬱陶しい。
そこに本物の現実が無いような感覚、
なにかが違うという感覚、
が、あるのではないでしょうか。


それは、精神的な幼生期が終わろうと
している兆候かも知れません。


別に幼生期がいけない訳ではありません。
この幼生期の時期を目が閉じている状態、
眠りこけた状態と見る向きもありますが
楽しめる者からすれば、お祭りのようで
素晴らしい世界でもあるのです。
幼生期を楽しめるならば、夢中で楽しむべきです。


しかし、終わりかけている人にとっては、
幼生期の世界で生きるのはきつい事です。


また切実な苦しみのある人にとっても
きつい事です。


ほんとうのスピリチュアルの救済は、
幸と不幸、喜びと悲しみが同時に消失します。
意味も理由も意図も消失します。
自分と他人も同時に消失します。


その救いは、まだ幼生である私たちに
とっては、空虚で無機質なものと
感じられるでしょう。


過渡期の人であっても空しく感じるかも
知れませんが、同時に朝が来たような感覚も
覚えるかもしれません。
夜明け前が一番暗いとも言います。


やがてこの羽化は当たり前のことに
なるでしょうが今はまだ少し先進的かも
しれません。


精神世界界隈では、言葉を使ってでは本当
のことには到達できないと言われています。
しかし、それは真理であると同時に探求に
おける定番の逃げでもあります。


そして、逆に考えれば、言葉を使って
ギリギリの所までは行けるということです。


この場所では、その地をめざします。