スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

「私」という幻想


世界にはたくさんの国があります。
国連が認める国は193あるようですが


この国という概念は「私」に
よく似ています。


国境という皮膚があり
血管のような物流網
神経のような通信網
脳の役割は政府や議会
内臓のような企業
免疫機構のような警察、司法、軍
色々と硬い構造物も出来ているので
確かなものとして感じがちですが
これは幻影です。


ままごとをしている子供が地面に線を描き
「この線の中は私のお家
そして、あなたがおとうさんよ」と
やっている事と大した違いはありません。


虫や鳥や風にとっても国境など知った
ことではありません。


国境は存在しません。


実際に
元々、どこにも線は引いていないのです。
それは「私」と同じです。


しかし、国という幻影は、
けっして真理ではありませんが道具として
ならば、かなり有用です。
それは、身体を生かすための食糧の調達が
安定していて、危険が少なく繁殖に適した
環境を作れる、という点です。


「私・自我」も「国」と同じように
身体を生存させ保守するという意味では役に立っています。
問題は、幻想で作られた道具なのに、
その事を忘れて絶対視してしまう事です。
それは主が従者に使われている状態です。


「私」も「国境」も
ただの仮に作った妄想道具であると認識し
そのように使えば弊害は少なく有益です。
ただ、ある種の理想に走って
過酷な国際状況にかかわらず、国境を
外してしまうのは少し違う気がします。


「私」についても本当は存在しないからと
いって完全に否定するのは得策ではありません。


私や自我も肉体的身体と社会的身体を守る
という重要な役目があるからです。
つまり、大事な道具であるのです。

 

ちなみに幻影を機能させることは
特に高度なテクニックという訳ではありません。
人間だけでなく他の動物も使っています。
猫の縄張りとかがそうです。
ある範囲に自分の匂いを付けることで
他の猫を排除し、餌場や安寧の場所の確保
に役立てています。
そこには根拠も真理もありません。


「国境」も「私」も機能的には
大事ですが猫が扱える縄張り程度のものなのです。