スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

実際のアセンション

マインドが支配した現代社会では
静かに、じっとしていると
どんどんと居場所が無くなってしまいます


争いが不得手であっても
居場所が無くなっていきます


というのは
マインドの世界は
「仮想陣取りゲーム」の世界だからです
マインドの興味は、アメーバのように
自分の陣地を増やすことがその全てです 
マインドの陣地とは、
愛情、賞賛、地位、お金、健康、生殖
などです 
欲ともいえますが
正確には「優遇と優越」です


マインドとは心です
「自分は心だ」と認めることは
この陣取りゲームにログインしている
ということになります


普通、殆どの人は当たり前に
「心が自分だ」と思っているので
これらの人は、漏れなく
このゲームに参加しています


この心の陣取りゲームに参戦しつつ
何も争わない
他人から陣地を奪わないと
必然的に自分の陣地が減っていきます
無人の新天地を開拓するのであれば
他人から奪う必要はありませんが
現代ではパイの取り合いが主流です


少しずつ自分の領土が削がれていきます
心は、それを不幸や苦しみと感じるのです
そして、ぼやぼやしていると
身体の生存の危機にも発展します


本当のところ
これは架空のゲームであり
「私」という区切りも全くの任意で
自他の境界も妄想であるのですが
皆この心ゲームに熱中しています


そして、今現在
自分の居場所が減っていくと感じる人
何故だか妙に苦しい人は、このゲームが
どこか馴染めないのだと思います


はっきりとは論理化できなくても
直感的に
「こんなゲームはやってられない!」と
感じているのです


心ゲームのヘビーユーザー達は
「現実逃避だ」と言うかも知れませんが
それは逆です
心ゲームには現実も真実もありません


ブッタに聞いても「それは逆だよ」と
普通に言うでしょう


確かに心の元となっているのは
身体で、これには原初の個人性があり
それは魂とも呼ばれています
その魂自体は純粋なのですが
それに色々な価値観や
価値観の変質した感情などが癒着し
暴走する怪物の様な心になっているのです


そして
苦しい人達は、何か違うと感じます
つまり
本当の事への渇きがどんどん増して
いくのです、それは結果的に 
覚醒を促されている事になります


身体の生存自体の危機は比較的少なく
それでいて、心が苦しいといった
日本のこの時代というのは
ある意味、恵みの時代なのかも知れません


昔の日本のように
聖と俗の境界が少し曖昧で
それらが共存できていた豊な時代よりも
今の聖と俗が乖離している時代の方が
聖が収斂し結晶化し易いかも知れません


これから先
このゲームから静かにログアウトする人
水面下で静かに覚醒する人たちが
増えていくことでしょう


そして
現に巷では、覚醒して行っている人は
着実に増えているようです


この世界は、しばらくの間
このゲームに熱狂している人たちと
このゲームから降りた人たちが
一つの世界に重なって存在するようになります
暫くは重ね合った世界のままになるでしょう


しかし
同じ世界にいても、ゲームの参加者と
ゲームを降りた人たちの見る風景は
全く違うものとなります


なぜなら
ゲーム参加者と降りた者の認識には
大きな違いがあるからです
その大きな違いとは
幸福の感じ方、若しくは幸福の由来
の違いです


ゲーム参加者は当然
マインドが欲しがる幸福のみを認識します
優遇や優越がその総てであって
とても移ろいやすく、不確かで
得たと思った瞬間から
どんどん陳腐化します、そして
幸福を維持するために常に急き立てられます


それに対し
ゲームを降りた者は
やがて「理由のない幸福」を見つけます
それは祝福されている感覚
大いなるものに見つめられている感覚
から顕現し、そしてその感覚が
常時続く確かなベースとなります
つまり、まず先に
理由がなく恒常的に幸福な者がいて
その人が、行動する訳なので
その人は
何をしてもどんな状態でも深刻ではなく
世界は遊び場のようになるのです
ゲーム参加者の視界とは全く違います


また
俗世的マインド的な事においても
徐々に巻き返しが起こります
自他を統合して行動する人の薫りに
普通の人はとても敏感なので
そんな人には無意識に陣地(ギフト)を
与えようとしてしまうのです
波に乗ったように物事がスムーズに
動いていくと感じるかも知れません


とは言え、本格的に開いた人はもう
そんな陣地など気にならなくなります
その優遇を喜ぶ「私」が希薄になって
いますから
しかし
完全な非個人の神になってしまう
という事ではありません
身体が生きているという事は
純粋な個人性は必ずあるので
本来の魂(身体)が喜ぶようなギフトは
とても嬉しいと感じるでしょう
「心」は「魂」に近くなり
その本来の役割に戻って、それを素直に
喜ぶでしょう


そして、その変革を主導していくのは
スピリチュアル的な新しい世代の女性達です


この新しい世代というのは
年齢が若いという事ではありません
年齢が若くても古い世代の人もいますし
その逆もあります


ただ、昔から修行のように精神性を
追求してきた人達が
長い時間をかけて越えてきたものを
この世代の人は
当たり前のようにライトに越えて行きます
この世代には深刻さが少なく
それでいて理解がナチュラルに深いのです


この世代の人達自身にあまり実感は
ないでしょうが
古いスピリチュアル的なリーダーや
論理的にスピリチュアルに詳しい男性
よりも、体感的に実際的に進んでいる人が
多いようです


もちろん
誰が優れていて、誰が劣っていると
いう事ではありません
しかし
この世代には
次の時代の精神性を先導する役割が
あるのかもしれません
素晴らしい事だと思います


少し前にアセンションという言葉が
流行りましたが
その時は少し選民思想のような感じで
覚醒者以外は消えてしまうから
乗り遅れるなといったノリでした
しかし
実際には静かに重なるように進行して
いくものです
ゲームを続けている者には殆ど
認識できないでしょうが


もしかすると
このナチュラルにライトな新しい世代が
真理に興味のないゲーム参加者にも
天然の力で「それ」を魅せ
いつの間にか統合していくのかも
しれません
それが、実際のアセンション
呼ばれるものだと思います