スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

愛する人と本当に繋がるには

あなたが、他人と会話をしている時
その相手は、あなたを見て話しているのに
「あれ?この人は私のこと見てないな」と
感じたことはありませんか?


私の事を見ているはずの相手の目の焦点が
私を通り越し、私の少し後ろにある感じ
または、相手の焦点が私の前にあって
私に届いていない感じです


この感じは、出会って間もない人が
あなたに良い幻想を抱いている時
良く起こります


良い幻想の場合は
あなたは不快を感じないので
落ち着いて観察できるからです
逆に、悪い幻想を抱かれている場合は
不快ですし、怒りとかも湧きますから
中々、静かに観察できないでしょう


また
とても上手く行っていた恋人との間でも
いままでお互いに焦点が合っていただけに
ズレが出ると、感じやすいかも知れません


なぜ、ズレがでるかというと
私たちは、ほとんどイメージや概念で
他の人間と接触しているためです


あなたには
「私」という自己イメージがありますし
他人に対してはその人のイメージを作って
いるはずです
また当然
他の人にもその人の自己イメージがあり
あなたの事はイメージ化しています


そして
その人は、あなたと話をする時
あなたを見ている様な気になっていますが
実際には、自分の作ったあなたのイメージ
に向かって話をしているのです


あなたの自己イメージと
他の人が作るあなたのイメージの差が
違和感やズレになります


あなたもその人に対して同じことをしています


二人の別々の環境や価値観を持つ人達が
それぞれ二つのイメージ体を自由に作って
いるのですから
それがぴったり合うのは中々大変です
そして、それは絶えず変調していますので
合ったと思ってもすぐズレます


しかし
それでも皆、何とかやって行けています


何故なら、とくに親しい間柄などでは
空気を読んでイメージのすり合わせや
イメージを演技しているからです


それは、例えると影絵に少し似ています
本体同士は全く接触していなくても
その本体の位置と光源を調整することで
影絵のスクリーンに映る影同士は
接触しているように見える訳です


プラトンの洞窟の比喩と少し似ていますね


話は戻りますが
つまり、実は、あなた本体は
というより、ほとんどの人の本体は
互いに誰とも接触していないのです 
代わりに
実体のないイメージが接触しているように
見えているだけなのです


ちょっと寂しいですよね


私は、ちゃんと親友と繋がっている
お互いの事を正確に理解していると
思っている人もいると思います


しかし、親しければ親しいほど
互いの良いイメージは強固で
逆にそれに縛られています


もし、あなたが
いつもと違う行動をした時などは
「君らしくないよ」と
言われてしまうのではないでしょうか


本当のあなたは、「あなたらしさ」という
イメージのあなたですか?
それとも「違う行動をした」あなたですか?


前書きが長くなりましたが
これからが本題です


愛する人、好きな人、大切な人と
本当に繋がる方法です
というより、
すでに最初から繋がっていたという事を
思い出す方法です


「光の柱」というものを使います


悟った人の中には人間を白い光の柱と
認識してしまう人達がいます
もちろん、人間の形も認識するのですが
同時に光の柱としても見えてしまいます


これは、人によっては身体の中心の
スペースと感じたり
ハートと感じたりしているものです
瞑想で深く入って行って
たどり着く深部であり
「沈黙や静寂」とも表現できます
瞑想する人は、そこで寛ぎ
至福を得たりもします


まずこれをやります


ちょっと、ハードルが高いように感じ
ますが、今の時代は
意外と簡単にできます、ほんとうです
昔は、何十年も瞑想経験を経て…
という感じでしたが
今はそれに惹かれる人であれば
すぐに入れると思います
むしろ、決して難しいと思わない事です


ここから先が肝心です


普通
そこは、かなり気持ちいい場所なので
思わずゆっくりしてしまうのですが
あえて
その深部の特性を注意深く感じるようにします


その場所は
沈黙で静寂でスペースでハートです
その特性は、非個人性です
それに気づきます


個人性のない光の柱です


そして
瞑想中には、めったにしない事ですが
他者を意識し、他者を見ます
するとそこにも他者を貫く光の柱があり
それにも個人性がなく、自分の光の柱と
まったく同じであるばかりでなく
自分の柱と繋がっている事を悟ります


ユングが集団的無意識と表現したものです


これは、親しい人と向かい合って瞑想
をするのもいいかもしれませんね


そして、瞑想が終わってもそれを続けます
街に出てもそれをつづけ
愛する人を見る時にも
その人に光の柱を見るのです
その人の外見や性格や行動ではなく
その人の個人性の無い中心を見ます


その時、もう既に繋がっていた事を
あなたは思い出します
あなたの中心と全く同じものが
そこにあるのですから


そこでしか繋がっていない
でも、それが重要なことで
それ以外のことはどうでもいい事だと解ります


見られたその人も
衝撃を受けるでしょう
あなたの眼差しは素晴らしいものに
なっています