スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

祝福と恩寵を感じたい

何かのきっかけで
祝福されている事を感じたり
スピリチュアルなイベントなどで
恩寵が降りている事を感じたりする人が
けっこういると思います


ですが
普通の状態で常に祝福を感じたり
恩寵が降りている事を感じている人は
かなり少ないのでは無いでしょうか


祝福や恩寵は常に降り注いている筈です
なぜなら、それらが
時や場合や人を選んで降りてくるならば
それは
祝福でも恩寵でもないからです


ではなぜ、祝福や恩寵は
常に感じられないのでしょうか?


それは
心の認識の仕方に原因があります
心というのは、対象物を分断し
細切れにして比較することで認識をします
または、対象物を他のものと比較して
認識します


例えば
山の頂を認識する場合には
より低い斜面や裾野がある事により
それらを比較し頂を認識します


愛にしても
自分がより愛された時のみ、愛を感じます
誰に対しても分け隔てなく注がれる愛は
それを愛とは認識できません
心にとって
「全てを愛すること」は
「何も愛さないこと」に見えるのです
公園に立っている木と同じように
無味に見えてしまいます


比較しその差分を認識できないと
存在そのものの認識ができないのです


また、自分の存在にしても
世界を自他に分断し、他者を作ることに
よって、自分の存在を認識します


それに対して
祝福や恩寵は
何処にでも遍在し
常に変わらないものなので
そこに変化や差がなく
心では認識できないのです
「全てを愛すること」が
「何も愛さないこと」に誤認されることに
少し似ていますね


心は、変化や差異のあるものを
認識しますが
それは、音波や電波などにも似ています
その波に山と谷があるから認識できています


祝福と恩寵にはその山と谷がないのです


よくスピリチュアル的な話として
波動を上げましょうというフレーズを
使う人がいますが
それは
祝福と恩寵のような状態に近づくために
波形の山と谷の差を少なくしましょう
という意味なのかもしれませんね


そして
常に祝福や恩寵を感じる方法ですが
それは、まず先に


「あなたが祝福と恩寵そのものになる」ことです


または
あなたが祝福と恩寵であった事を思い出す
と言った方が良いかも知れません


あなたは、自分は祝福を受ける側
恩寵が降り注ぐ対象だと思っていますが
実際には
世界を祝福し、世界に恩寵を流す側でも
あるのです
というより
あなたは自分で思っているより
世界にとっては
遥かに重要な起点なのです


冗談抜きに、世界はあなた次第で
どうにでもなります
むしろ
あなたは責任を持っているとも言えます


ですから、まず先に
あなたの方から
世界を祝福してあげてください
何のジャッジもせず
何の意図も理由も持たずに
ただ祝福してあげてください


普段の生活の中でも祝福と恩寵を
意識の底に常に流しておいてください


それは
あなたにとっても気持ちいい筈です


こうやってあなたが
祝福と恩寵と同じ地平に立っていると
いつの間にか、あなた自身が
全てのものに祝福されていることに気づき
恩寵が世界に遍在する事に気づくでしょう
祝福する事と祝福されることは
同じ事だと気付きます


個人性の幻想を見破ったり
概念や幻想を落としたり、といった
テクニカルな方法より
この祝福と恩寵そのものになる方法の
方が合っている人は多いでしょう