スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

マインドを飼いならす

スピリチュアルな人達は
「悟るためにはマインドや心は障害になる
ので、ノーマインド瞑想をしましょう」と
ノーマインドになることを勧める場合が
あります


でも、これは
あまり実用的とは言えません
ノーマインドが出来たとしても
とても安全で特殊な環境のみでの話で
日々恒常的に出来るというものでは
ないのです


身体があり、普通に生きている限りは
マインドや心は必要なのです
「身体を守護する」という重要な役割が
ありますから


真の問題は、マインドがある事ではなく
あなたが、マインドや心と同一化して
しまうことです


そして
マインドや心と同一化し易い環境は
過保護な静止した環境です


というのは
マインドや心の最上位の使命は
「身体を生き抜かせること」だからです
静かで過保護で安全過ぎる環境だと
マインドと心はやる事が無いのです


その結果、マインドと心は、
アメーバが食物を探すように
やる事を探して無限増殖し暴走します
または
今が平和過ぎであるため、未来の不安や
過去の後悔などを探し始めます
この時
悪性の同一化が起こり易いのです


よく瞑想では
「何もしないこと」をして
マインドや心の食料を無くし
それらを弱体化させ、ノーマインド
に持っていき、その結果
本当の自分を浮かび上がらせるといった
やり方をする場合がありますが


ほぼ、失敗します


マインドは
食べ物が無いと逆に暴走するのです


これは科学的にも立証されていて
視覚、聴覚、触覚などをブロックした
無感覚室に人間を入れると
ほんの短時間で
現実と妄想の区別がつかない程に
思考が暴走するそうです


ですから、それを避けるため
OSHOのアクティブ瞑想などでは
瞑想の前にマインドや心のストレスを
開放してあげ、静かにさせるのです


しかし、これも一時的なもので
マインドや心は
朝たらふく食事を与えても
夜には大口を開け食事を催促します


つまり、マインドと心には常に食事を
与え続けなければならないのです


ここで、発想の転換が必要です
無くすことができない
常に世話をし続けなければならない
という事が決定しているならば


マインドと心を上手く飼いならせば良いのです


まず与える食事は、正しい食事を
与えなければなりません
つまり
「いま、身体を生き抜かせる」という
正統な仕事を常に与えるのです


このマインドと心というのは本当に
飼い犬に似ています
オオカミの血の入った飼い犬です
オオカミの血の入った犬は
室内で過保護に育てると
とてもわがままでアホな子に育ちます
まあ、それはそれで可愛いのですが…


しかし、犬ソリを引かせるとか
狩猟の手伝いをさせるとかの
彼らにとっての正統な仕事をさせると
喜々として働き、満足し、利口で
従順で静かな犬に育ちます


マインドと心もこのオオカミ犬と
同じなのです
恒常的に正統な仕事をさせると
静かで、賢い子になります


そして、このマインドと心に正統な仕事
をさせるには、まず身体を動かすこと
身体主導で活動的である事です


例えば
散歩をするだけでもマインドは働きます
周りに危険が無いか、舗装は安全か
マインドは喜々として働きます
そして、それだけでもマインドはけっこう
満足して大人しくなるのです
散歩をして大人しくなるとか
ほんと飼い犬に似ていますね


マインドが暴走する時は、未来や過去に
向かって暴走しますが、正統に働く時は
今ここで働きます
マインドや心も本当は今が好きなのです
身体主導で活動する時は、今ここで活動し
マインドと心は正常なポジションにある
ことが多いです
「身体が先に動く」という感覚ですね


スピリチュアルや瞑想をしている人達の
中には、静かで、何もしないことを
勧めることも多いですが


悟りや幸福を本気で目指すならば
むしろ行動的に動くべきです
動くだけでカタルシスになります


そして肝心なのは、マインドや心は
あなたが散歩をさせてあげているという
感覚を常に持つことです
それができれば
日常生活で浄化と瞑想を同時にしている事
になるのです


それは、仕事でも買い物でも恋愛でも
みな同じマインド犬の散歩です


ただ、行動するにあたり、判断や選択は
マインドや心がします
それも散歩の一部なのです


主であるあなたは
意図も意思もありません あなたには
手もなく足も無く口もありません
あなたにあるのは
微かにほほ笑んだ眼差しだけです