スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

自分をジャッジする事をやめる

この身体は、ある仕事をしている時
多くの顧客を持っていました
そして、その中には当然ですが
性格の良いお客様と
性格の悪いお客様がいました


当然、性格の良いお客様と接している時は
楽しくて、何時までもお付き合いをしたい
と、思っていたのですが
性格の良いお客様というのは何故か
どんどん死んでいくのです
年齢などに関係なく
本当にびっくりするほどよく死にます


死自体は、癒しや救いであるので
けして絶対的に悪い事ではありませんが
マインドとしてはとても悲しい訳です


そして、その時わかったのは
性格の良い人というのは、「樹」に
似ているという事です
その人たちは漏れなく
周りの瘴気を自分の中に取り込み
代わりに
きれいな空気を吐き出していました
これでは、周りの人達は快適ですが
自分の中はどんどん汚染されて
しまいますよね


逆に、毒や瘴気をいつも吐いている人は
意外にも体の中はとてもキレイなのです
確かに長生きしそうです


前者は自分の内側を攻撃する人で
後者は自分の外側を攻撃する人です
そのどちらも良くありません
その時は、マインド的に目立つこの人達
しか目に入らず、俗世の皮肉のようなもの
を感じていましたが
実は、もう2つのタイプが存在しました


一つ目のタイプは圧倒的多数の人達に
当てはまります、それは
内側も攻撃し、その整合性を取るため
外側も攻撃している人です
二つ目は
外側も内側も攻撃しない人です
この人はスピリチュアル的にお手本に
なる人ですが
大多数は内側も外側も攻撃する人達です


ですが、この大多数の人達は
真面目で誠実で愛すべき人達です
真面目で誠実で利口で公平であるが故に
内に向かうものでも外に向かうものでも
偶然に一つの攻撃が起こると
整合性を取るため、公平に
それを至る所に波及させてしまいます


「人を呪わば穴二つ」とか
「悪意は自分に返ってくるよ」とかは
これの外→内の面を指していますが
むしろ今は逆に
最初に内に向かう攻撃の方が
深刻であるような気がします


攻撃というのは具体的に言うと
「ジャッジ」です


価値観や概念や基準によるジャッジ


たとえば
自分像を維持する為に一貫性や整合性が
なければいけないといった強迫観念
それに逸脱した場合の批判は
自分にも他人にも向かいます


誰がそんな事を決めたのでしょうか?


太陽が暖かいというのは
虫や動物や植物や石も納得する真理
ですが、自分は一貫して明るい人間と
思い込んで、それに外れる事を恐れる事や
あなたが、何かの基準で罪を背負っている
とか、収入が少ないからダメな人間だとか
足が悪いから不幸だとか


その苦しんでいる様子は
虫や動物や植物や石から見れば
何だか分からない黒い霧に取り憑かれて
苦しんでいる病気の動物にしか見えません


ありのままの真実は
あなたの身体は、過去に他の身体と
高揚の基準に差があった
あなたの身体は、
過去に思ったままの事を言った
この身体の去年の年収は〇〇〇万円だ
この身体の足はゆっくり動く
それだけなのです


そして、この事実に対する評価や形容は
まったく無意味で幻想です
私達は真実に苦しめられているのではなく
思えばあり、思わなければ、消えてしまう
まるで不確かな霧のようなジャッジや概念
に苦しめられているのです


片足を失った自然界の動物のことを
可哀想で不幸だと人間は思いますが
動物たちは自分を可哀想だとは
思っていません
ただ片足がないと認識し
その上でベストを尽くして生きています


人間よりも動物が優れているという訳では
ありません
人間は、動物の時代の後に概念という道具
を手に入れましたが
今は振り回されているだけです
やがて乗り越えていく事を
色々なものが応援し待っていると思います


しかし
この内側にも外側にも攻撃しない
内側にも外側にも「ジャッジ無しの認識」
で接するという事をしたとしても
ただシンプルで味気ないだけであって
幸せになれないじゃないか?
と思う人もいるかも知れません


確かに、マインドが好む
ハンバーグやグラタンやお子様ランチ
のような分かり易い濃い味の料理は
提供されません


しかし
「ジャッジ無しの認識」をするように
なると、磁場というか
周波数のようなものが変わっていきます
ジャンプすると言っても
いいかも知れません


この「ジャッジ無しの認識」というのは
瞑想で深く入って行った中心にある
個人性の無い何かが発しているもの
または
普段はマインドのバイアスで見えませんが
外側の世界の全てのものが
発しているものです
神の視線と言っても
言い過ぎではないと思います


そして
内側に対しても外側に対しても
「ジャッジ無しの認識」で接する姿勢が
定着すると


あなたに対し
世界自体が徐々に敬意を示すようになります