スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

死んでしまいたいと思う時

この身体やマインドもかつて
「死んでしまいたい」とか
「無になりたい」とか思う事がありました


死自体は、人が平等に持っている
癒しや平安と捉えることも出来るので
そんなに悪い事でもありません


また
スピリチュアル的に進んでいる人は
自死など考えないかというと
意外とそんなことも無くて
けっこう考えたりもするようです


書籍なども出版していて
悟ったと言われている海外の人が
何年か前に自死をした為
皆が動揺をしました


そして
ブッタも悟りを得た弟子に
「もう悟ってしまったので、生きていても
やる事が無いから自死をしてもいいか?」
と質問され
それに対し特に否定もしなかったと
いいます


確かに探求し尽くした覚者の自死
問題ないかも知れません


しかし
まだ探求の道なかばの私達にとっては
問題があります
霊的にどうのこうのという問題では
ありません、大体において
そんな霊的なものなどありません


ですが
あなたが自死を考える事は
とても勿体ない事なのです


一日の明るさの変化で言えば
月が沈んだ後の
夜明け前が一番暗いと言います
「もう死んでしまいたい」とか
「無になってしまいたい」と思う時は
実は、その一番暗い時刻なのです
その時刻は真夜中よりも暗く
暁闇とも言います


しかし、逆に考えれば
もう直ぐそこに曙光が来ているとも
言えるのです
そして、その時訪れる朝の光は
昨日とは全く違うものです


「もう無くなってしまいたい」と思う時は
自分や世界に絶望しているのかも
知れませんし
既存の価値観を追う事に疲れている
のかも知れません
孤独感や無力感を感じるとともに
「もういいや」という諦めもある
でしょう


しかし
繰り返しになりますが
あなたのその状況は
「夜明け前」であり、「曙光」が
直ぐそこに来ているのです


なぜかと言えば
その状況は、悟りを開いた人の
一つのかなりメジャーなパターンに
似ているからなのです


そのパターンとは
考えられる限りの修行をし
会いに行ける限りの覚者に会い
何十年も瞑想をしたのに悟れない
そして
「もう悟れない」「どうでもいいや」
と感じた瞬間に悟りを開くというものです


これで悟った人達は、修行や覚者や瞑想が
悟りに導いたとは、あまり感じずに
「諦観」自体が悟りに導いたと感じます


つまり、肩の力の抜けた
「もういいや」という諦めは
頑固な個人性や欲や概念が落ちやすく
ただそれだけで変容に導くのです


「でも、私はそんなにたくさん瞑想も
していないから変容しないかな」と
思う人もいるかも知れません


確かに
昔は、普通の生活の中で発生する
諦観では、精神的変容は
起こらなかったかもしれません


でも、今は違います
今の社会はくだらない事も多いのですが
実は同時に、スピリチュアル的な
メッセージも頻繁に発しています
今は気づかないかも知れませんが
あなたは常にそのメッセージ浴を
無意識にしているのです


家族や友人との会話の中にも
映画の中でも
アニメーション作品の中にも
広告や雑誌や書籍の中にも
何気なく聞こえてくる他人の会話の
中にも、自然の中にも溢れています


ですから
あなたは、自分でも知らぬ間に
熟成されて行っているのです
その結果
パラダイム転換が起こり易くなっています
そして、少しの衝撃で変容は起こります
それが一旦起これば
あなたは、今までとはまるで違う
驚くほど綺麗な朝を迎えられるのです


とは言っても
「もう無くなってしまいたい」と
思っている時は
身体のエネルギーも無くなっていて
思うように行動できないと思います


そんな時は、死の瞑想をお勧めします
これは癒しの瞑想です


この瞑想は
就寝する際にベッドの中で行います
布団であれば、良く干して
暖かくしておきます
まず、ベッドに入ったら
どんどん身体の力を抜いていきます
そして
身体がベッドに沈む重力を感じ
身体の体温を感じるようにします


その後
個人性を除去します
リラックスし次のように感じていきます

 

「私の名前は仮についているもので
私ではない、この身体に名前はない」


「私の性別は、ただ任意で分類された
もので、本当の私は男でも女でもない」


「私の記憶も、もう存在しない過去の
もので、私には関係ない」


「私という区分けも、まったく
いい加減な区分けで、自他の境界は
どこにも存在しない」

 

「ただ、肉体の温かさと微かな重さがある
そして、それは闇と睡眠に溶けてゆく」


そして、ゆっくりとゆっくりと
ただの無境界の曖昧な存在となって
優しい闇と睡眠に溶けて行ってください


その心地よい融合を楽しみながら
眠ってしまってください


この瞑想をしばらく続けていくと
エネルギーが戻るとともに
曙光の時が、静かに近づいてきます