スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

覚者に会っても神性は感じない

かつてこの身体は
覚者とよばれる多くの人達に
会いに行きました


しかし、残念なことに
どんな覚者に会っても神性は
感じませんでした


もちろん人格的に素晴らしい人は
数多くいたので
そんな覚者はとても好きになりましたが


そしてその後
なぜ覚者に神性を感じないかを
検証した結果
神性が感じられない理由は
3つあることが判りました


まず一つ目は
マインドでは、構造的に
神性自体を感じられないということです


そもそも、マインドは差のある物
変化のある物しか認識できないので
マインドと同一化している身体では
どこにでも遍在していて不変なものは
見えなかったのです


そして、二つ目は
「覚者」というバイアスが
かかっていた為です


「偉大な覚者」とか「悟った者」という
特別感のあるフレーズは
マインドが大喜びするフレーズな為
マインドが興奮し活性化していたのです
ただでさえ神性が見えにくいマインド
ですが、こうなると絶望的です


三つ目の原因は
神性自体を知らなかった為です


これは冗談のような笑い話です
何を探しているか分らずに
探し物をしていたのです
これでは、たとえ目の前に
目当ての物があったとしても
実際に手に取っていても
「どこだ、どこだ」と呟く事になります


これらの原因は
神性を何度か体験した後に
やっとわかりました


そして
その神性と出会えた場所は
何の特別感もない普通の場所でした


交通整理をしている
おじさんの表情だったり
たまたま出会った
静かな子供の瞳の中だったり
自分の家の障子だったり
小鳥や蜘蛛や蝶だったりしました


そして、それが分かった後に
覚者に会ってみると、確かに
神性を感じることは判りました


しかし
その神性は、覚者だからといって
特別大きい訳でも
凄い訳でもありません


静かな子供や小鳥と同じ神性です


その時、解ったことは
「神性」とは、例えるなら
広大な海の様なものだという事です


それらは
隙間なく数多に遍在しています
そして
私達は、神性の海中にある
中空の透明なガラスの瓶のようなもので
その瓶はキャップが強く閉まっています


私達は、幸運にも神性の海水に
常に浸かっているのですが
瓶にはキャップが閉まっているので
直接神性を味わうことが出来ません


キャップが何かの拍子に少し緩むと
その時、私達の中に神性が流れ込むのです


その閉まっているキャップとは
「私という幻想」や「その他の想念」です
「あの人は覚者で私は俗人だ」という
思考も一つの概念や価値判断であり
瓶のキャップです


そして
面白い事に、実際の海中では
キャップが閉まっている中空の瓶は
とても視認しやすいですが
キャップが開いて海水が満たされた瓶は
殆ど透明になってしまい
視認できなくなります


現実でも神聖で満たされたものは
マインドでは殆ど認識できないか
とても詰まらないものに見えます


しかし、海水に満たされた瓶本人は
自分が透明になる感覚
「私」が消失する感覚を味わいます
特に何かの切っ掛けでいきなり海水に
満たされてしまった場合は
これらを強く感じるでしょう


覚者とは
安定的に9割方海水で満たされた瓶
のようなものかも知れませんね


安定した1割の空気の部分があるから
マインドからも認識できる訳です


あなたという瓶の中も
空気だけしかないという訳ではありません
あなたの中にも
聖なる海水は必ず入っています
そうであるから
内に入る瞑想で、それに触れる事が
出来るのです


しかし
「私という幻想」のキャップを
緩めさえすれば、無尽蔵な神性とも
コンタクトを取る事が出来ます


あなたの本性とは
その無尽蔵の神性なのです


その神性に触れる感覚は
今、あなたの周りにある全てのもの達が
あなたを愛していること
あなたにやさしく触れていることを
知る感覚です


その安心感、安全感です


身体の全ての強張りが消えていきます


やさしく深呼吸をしてみてください
これは今すぐ、ここで
あなたは体験することができます