スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

空の器はゾーンに入る

スポーツなどする人は
「ゾーンに入る」という経験をした人が
案外多いのではないでしょうか


それは実力が全国クラスでなくとも
体験することができます


対戦相手の動きが、ゆっくりに感じたり
自分が動こうとする前に
自動で自分の身体が動く感じです


これは、芸術活動でも起こります


絵を描く時などは
自分が描かされていると感じたり
文章や楽曲を書く時は
それらが降りてくるように感じたり
楽器を演奏している際は
演奏している身体が自分ではないように
感じたりします


また
熟練の職人さんなどの仕事にも
これと似た事が起こっています


これらに共通するのは


自分が自動で動いている感じ
何かに運ばれている感じ
リラックスしている感じ
そして、とても心地よい感じです
稀に、時間が静止する感じも
あるかも知れません


これを俗にゾーンに入っている
と言います


それは
サーフィンで上手く波に乗る感じにも
オートバイで上手に走る感じにも
少し共通するものがあります


この二つの乗り物の操縦は
Driveとは言わずにRideと言います


この乗り物たちを乗るコツは
これらにいかに介入して支配下
置くかでなく
危険な環境の中で
いかに身体の力を抜き
これらを信頼して任せるかに
掛かってきます


オートバイに乗るのが上手い人は
ハンドルに殆ど力を入れていません
力を抜きつつ重心移動することで
オートバイがバンクし、それに合わせて
自動でハンドルは切れ角をもちます
それをオートバイに任せています


緊張や恐怖で身体に力が入りすぎる事を
バイク乗り達は「地蔵になる」と表現し
そうなるとコントロール不能になります


スポーツや芸術活動のゾーンも
これと同じで
「ゾーンに入っている」事を意識しだし
それを維持しようと緊張しだすと
バランスが崩れて
ゾーンは終わってしまいます


そして、スピリチュアルや瞑想では
特定のスポーツや乗り物で
限定的にゾーンに入るのではなく
常時ゾーンに入る事を目指します


それをするにあたり
まず、大事なのは


自分を「何も入っていな器」と認識する
ことです


通常、その器の中には
思考や概念や不安や後悔が入っています
そして、器の中身であるそれらを
自分だと感じています


しかし
その器の中に
思考や概念や不安や後悔がない時も
稀にですがあるはずです


その時、あなたという存在は
いないのでしょうか?


いいえ、思考や概念がない時にも
あなたは存在する筈です


思考や概念や不安や後悔は
出たり入ったりしていて
常に普遍に存在する訳では
ありません


しかし
その器は普遍にいつも存在しています
それがあなたなのです


というよりも
これには純粋な個人性があるので
あなたの魂と言った方が良いかも
知れません


そして
その器の中が、おもちゃ箱のように
色々なものが入っている時は
そこには何も降りてきません


いえ
絶えず降りているのですが
おもちゃ達が邪魔をして入れないのです


スポーツの試合をしている時
舞を舞っている時
オートバイで断崖の峠道を走っている時


その時は
「今」に集中しているので
過去の後悔も
未来の不安もありません
自分の名前も忘れ、性別も忘れ
「今」に集中しています


つまり、器が空っぽになっています


そして、本当に空っぽになれた時
ゾーンに入ります


スポーツや芸術活動やサーフィンは
極限の活動によって結果的に「今」に
入りますが


スピリチュアルでは
思考や概念や不安や後悔の
幻想性を見抜くことで
これらを取り除き
常時「今」に入ります


そして
もう一つ大事なことは
「器」のイメージを知る事です


これは
茶碗が頭に乗っているような
イメージではありません


それは、形のない多層の「器」です
身体全体も器ですし
身体の各部分も器です
指も足も意識も器です
そして感情エネルギーも器です


この感情エネルギー
例えば
怒りの感情エネルギーは
「怒り」とセットになっていると
思いがちです


ですが「怒り」と言う概念は
感情エネルギーという器の中にある
一つのおもちゃなのです


感情エネルギーは
怒りであろうと悲しみであろうと
そのおもちゃを取り除けば
純粋でうつくしい器です


身体、意識、エネルギー
それぞれを形のない聖杯と感じて下さい


やがて
何かが降り注いでいることを感じます
ワンネス体験にも似た感じです
その時
降りてくるものにあまり意識を集中したり
それを掴もうとしないで下さい


あくまで、あなたは透明な器であり
流れ込むものを心地よい流水だと思い
それを楽しみましょう


そうすればゾーンは続きます


そして、それが身体に馴染み
当たり前の感覚になれば
降りてくるものと器の境界も
無くなっていきます