スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

サードアイを開くと好意を持たれる

スピリチュアル界隈では
たまに第三の目とかサードアイ
とかの話が出ます


「サードアイを開く」
なにやら魅力的な響きですが
超常的な何かというものでもなく
松果体がどうのという訳でもなく
これは、感覚的コツのようなものです


もう既に、皆さんは持っていますし
すぐに出来るようになります


普段、座って瞑想をする時などは
両目は閉じるか、半眼にします


なぜそうするかというと
この二つの実眼は
マインドに直結しているからです


例えば
電車の中やバスの中、街中
または人と対面している時
風景や建物や美術品を鑑賞している
時などは


考え事さえしていなければ
二つの目は、絶えず対象を捉え
それに対してジャッジをしています


「感じの良い人だな」
「趣味のいい建築物だな」
「この車はポンコツだな」とか


二つの目は殆どマインドと連動しています
だから、瞑想では目を閉じる訳です


それに対し
「歩禅」というものがあります


これは普通の座ってする瞑想の座禅に対し
歩きながらの瞑想です


ブッタが亡くなってから
400年後に書かれ始めた経典でなく
ブッタが教えていた当時の手法で
修行しましょうという原始仏教系で
よく行われている手法です


これは、ゆっくりと歩きながら
右足左足が土を踏む感覚自体になる
というような瞑想手法です


サードアイの感覚は、実は
この「歩禅」という瞑想に近いのです


この歩きながら瞑想をする時
二つの目は開いているのですが
意識としては、二つの目からでなく
「額から見る」ようにします


本当に額が視覚を持っている訳では
ありませんが
「額から見る」を意識することで
マインドは殆ど動かなくなります


その時、実際の二つの目は
マインドのセンサーとしての役割が切れ
単に視覚のセンサーだけとなります
一所に焦点を合わせるというより
全体を見るといった感じです


実眼のマインドのセンサーが切れるのを
実際に体験してみると
マインドが普段、いかに二つの実眼に
頼っていたかがよく解ります


普通の目を閉じた座禅が
徐々にマインドが動かなくなるのに比べ
この額で見るサードアイ瞑想は
マインドは瞬間的に動かなくなります


修験道をしている人達なども
山の中を走る際に
「額で見る」というのをしています
上手く障害物を避けて走れるようです


人混みで歩き難い場所なども歩き易く
なります


そして何よりこれをしていると


他の人に好意を持たれます


それはなぜかと言うと
人が、無意識に一番嫌うことは
「値踏みされる事」
「ジャッジされる事」
だからです 
そして
額で見る瞑想をしている時のあなたは
その真逆なのです


この「額で見る」をしていると
マインドが静止しているので
他の人をジャッジしません


とくに感性の強い人などは
あなたと目を合わせると
「救われた感覚」
「癒された感覚」を強く感じるでしょう


そして、それは
そう感じられるだけでなく
本当にあなたは、癒しているのです


人だけでなく
動物やその他のものに対しても
同じになります


この瞑想をする時の注意点の一つ目は
「私は癒している」と思わないことです
そう思うと
また、マインドが動き出してしまいます


そして、もう一つの注意点は
「額で見る瞑想」の時には
ほんの少しだけ微笑む
若しくは口角を上げてする事です


これは
「額から見る瞑想」の時に限らず
瞑想をしている時は
エネルギーが止まってしまいがち
だからです


座っている瞑想の時ならそれで
良いのですが
一般社会の中での
動きながらの瞑想の場合
エネルギーが必要です


ほんの少し微笑むことで
良質なエネルギーを呼び込み
そこに、流れができます


最後の注意点は
車の運転中などにはしない事です
危険のある環境では
「マインド」も「身体を守る」という
大切な仕事をしている為
それを止めるのは危険だからです


この瞑想は
「額から見る」を意識することで
ノーマインド、ノージャッジになる
行動瞑想ですが、慣れると
サードアイを開いたままの状態で
普通に生活ができます


いろいろな所で出来ますので
是非、試してみてください