スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

スピリチュアルの憂鬱

スピリチュアル探求や瞑想を
続けていると、ある時
「ある程度わかってきた」と
思える時期がきます


ですが、そんな時には
なぜか、憂鬱や虚無感などを
感じてしまいます


それは
「私」という幻想が消えた時
その個人に紐図けられていた
苦しみや悲しみから解放されるとともに


個人に同じように紐図いていた
喜びや楽しさも消えてしまうからです


これは一つのコインの表裏のような
物なので、コインが消えれば
その両方が無くなります


変容体験などで
個人性が無くなった時は
急に寂しさや苦しさが消えるため
至福を感じます
その後、徐々に
マインドの喜びや楽しさも
消失していることを気付きます


プラス・マイナスゼロであり
停滞した状態を感じ
求めていたものはこんなに味気ない
ものだったのか、と思ったりもします


スピリチュアルブルーと
いったような感じですね


個人性のコインが失われ
苦しみと嬉しさが同時に消えた時
私たちはモチベーションに困ります


個人性があった時
マインドは、苦しみや悲しみの出来事を
避け、楽しみや喜びが起こるように
行動していました


しかし、個人性が消えると
その両方が無くなるか
若しくは、とても薄くなる為に
その行動の方向性が分からなくなります
それが、この憂鬱の一面です


船に例えると
マインドの羅針盤を見て舵を切り
オールを漕いで船を進ませていたのが


オールが折れ羅針盤も舵もなくし
波間に漂って漂流している感じです


この場合
何に従って、どのように行動したら
よいのでしょうか?


全てを無くし、海を漂っていると
ある時、微かに感じてくるものが有ります


それは「風」です


自分でオールを漕いでいる時は
風は殆ど感じませんでした
しかし、漂流している今は
少しずつそれを感じるようになります


ここで、するべきことは
折れたオールをボートに立て
そこにTシャツを張って帆を作る事です


そうすると身体というボートは
風をより感じるようになり
自動的に動き出します


ですが、やはり
羅針盤も舵もありません


今までは
ボートで喜びの海域に行く 
楽しみの港に行く、といった目的が
ありましたが、それはもうありません


では、何を楽しむかというと
ボートが自動で動く事自体を楽しむのです
それは、遊覧船の楽しみ方でなく
サーフィン的な楽しみ方です


自分が何かをするのでなく
自動的に動く感覚
何かに乗せられている感覚
自分は空の器で
そこに何かが降りてくる感覚を
楽しみます


よく変容体験をした人たちが
大いなるものを感じたとか
それと同化したという印象を語るのは


この自分を動かす何か
降りてくる何かのことを
言っています
そしてその大いなるものは
風でもあり、身体でもあり
外側の世界の声でもあります


個人性というコインが消える時
それが、きれいに不可逆的に
消失すれば


あなたは羽のように軽くなり
すぐに風に気付いて
それに乗れるでしょう


しかし
普通、しばらくの間は
個人性の無い状態とある状態の
行ったり来たりです


ここで個人性の重さや深刻さが
移り香のように残り
憂鬱が発生します
これも憂鬱の一面です


風の感覚を知れば
より早く個人性の無い状態は定着し
羽のように軽くなり
憂鬱を抜けられます


そして、ボートに吹く風とは
具体的に何かというと


何気なく自然にあなたを押す
外側から聴こえてくる言葉たちや
太陽の日差しや鳥の声や
身体の声です


それは
個人性のある誰かが喋っているように
感じるかも知れませんが
実は、降りてきているもの
大いなるものの声です


誰もいない世界で
風という繊細なエネルギーを受けて
自動で動く身体というボートを
楽しみます