スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

奇妙な体験から気付いたこと

20代後半の頃の体験です


勤めている会社の勤務が終わり
会社を出てすぐの
大きな国道を跨ぐコンコースを
歩いていました


時刻は20時過ぎだったと思います


その駅前のコンコースはかなり広い
歩道橋のようなもので
見晴らしが良いためか
所々にカップルやグループ
浮浪者の人が静かに佇んでいました


意識が、妙な体験をする時は
だいたい同じ感じなのですが
その日も
気温が暑くも寒くもない快適な感じで
湿度はやや高く空気が粘性を帯びている
ように感じられました


そして
そのコンコースを歩いていると
そこに佇んでいる人達の様子が
おかしい事に気付きました


その人達が「型枠」に見えるのです
型抜きクッキーに使う「型枠」です


その人その人の特徴が
そのまま「型枠」になっていて
型枠が佇んでいるのです


すると驚く間もなく
そこにいる全員の型枠の中から
透明のジェルのようなものが
出てきます


くずきりやところてんが
容器から押し出されて出てくる
そんな感じです


そして出てきたジェルが
顔の形になっていくのです


そこに現われた顔は
すべてが私の顔でした


その時は
変わった体験をしているという自覚も無く
気味が悪いという印象も覚えず
「あっ、みんな自分か」と
素直に感じて帰路につきました


カップルの男女も浮浪者の人達も
みんな「私の顔」でした


たぶんそれらは、イメージの中で
起こった事なのでしょうが
五感よりも強い感覚だったので
現実と感じたのでしょう


その日の帰り道は
風景が滲んで見えてとても綺麗だった
ことを覚えています


その翌日には
その体験は忘れていましたが
随分後になってから色々と気づきます


その時に自分だと思っていた顔は
自分の顔ではありませんでした


その顔は、誰の顔でもありませんが
世界全員の共通の顔だったのです


世界には
たった独りの人物しかいなかった
と言っても良いかも知れません
全く特徴のない人物です


通常
私たちは、その独りの人物を見ずに
千差万別の「型枠」だけを見て
比較し、優劣を気にしています


型枠に同化して
型枠どうしが会話し、競い合い
愛し合います


確かに
型枠だからこその幸せもあります


しかし、それだけに捕らわれていると
人生はとても深刻で重苦しいものと
なります


また
私たちの共通項であるその透明のジェル
のみを絶対視することも極端です
その両方を見つめる必要があります


この共通項のジェルというのは
覚者がよく「黄金」「質」「仏性」などと
例えるものです


ある覚者はこう説きます


私達は、色々な製品である
それは見事な装飾用の細工であったり
工業用の歯車であったり
なんの役にも立たない部品であったりする


しかし、その製品の形というのは
たえず移ろい行く自然現象によるもので
そのものの本質とは無関係である


だが、その製品たちは漏れなく
「黄金」で出来ており
その質は常に最高である


常にその本質を見なさい


と説きます


また
コップの中の水
雨粒の水
大海の水
形は違えども全て同じ水と
説く場合もあります


比喩は様々ですが
その本質に触れる確実で具体的な方法は
地道に型枠を解体してゆく事です


「私」を形成している特徴という幻を
徐々に手放していきます


私の名前や外見を手放し
私の性別や性格を手放し
私の有能さや無能さを手放します


そして、この作業の邪魔をするのが
社会常識、組織の関係性、友人関係
恋人との関係性、家族の関係性です


枠を外す作業をしていると
笑ってしまうくらい迅速に飛んできて
型枠を元に戻そうとします


彼らはもう死んでいたとしても
あなたの記憶を介してやってきます
しかし、やってくるのは彼らのように
見えますが、実は
型枠自体がやって来ているのです
幻想の維持の為に幻影がやって来ます


死んでいる彼らより
生きている彼らの方が厄介ですが
対処する方法はあります


それは、彼らの生死にかかわらず
彼らを成仏させることです


自分にするのと同じように
彼らの本質だけを見るようにします
彼らの型枠や特徴などの幻を見ずに
彼らの無垢な本質を見ます


具体的には「ジャッジの無い視線」で
見てあげるという事です
目で見るのと同時に「額から見る」
ようにすると、この視線を作り易いです

 

それが、彼らの型枠を成仏させることに
繋がりますし、自分に対してする
肝心な作業の練習にもなります


これを期待をせず意図も忘れてします


簡単にはいかない作業であり
その環境によって
試行錯誤が必要かもしれませんが
する価値はあります