スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

日常に現れる悟りの欠片

長時間、家族や友人と口論をしていると
その怒りの持続が徐々に困難になっていき
やがて、なぜか笑がこみ上げてくるような
場合があります


そして、その笑いは相手に伝染し
二人して笑ってしまいます


ちょっと微笑ましい何気ない日常ですが
この時、俯瞰が起こっています


まず、怒っている自分を
見つめる視点が現われ、怒っている自分が
怒りの演技をしているように見えてしまい
滑稽に感じます

 

実際、この怒りというのは
あなたの中にある
元々は外から来た価値観が
外側の事柄に対して怒っている訳です


それは、元外側と外側の反応です
あなたとは全く関係のない
自動的な運動です

 

俯瞰する視点には
あなたと無関係なものと
同一化している事が滑稽に見えます


笑いが起こったという事は
その時、あなたがこの同一化から
剥がされたという事です


これは
そんなに頻繁に起こる現象では
ありませんが、それでも
誰でも一度くらいは経験したことが
あるのではないでしょうか


実は、この視点というのは
日常に現われる悟りの光点です
アクティブ瞑想などでは、この剥がれを
悟りの切っ掛けと見ることもあります


私たちは
この現象をあまり気に留めませんが
スピリチュアル的にはかなり重要な
ものです


他にも似たような例はあります


例えば、スポーツでの試合や
格闘技の試合などをしていて


身体やマインドは、熱く闘争していても
意識の枠の片隅に、ニコニコとした
冷静に俯瞰した場違いな意識の点が
現われる事があります


これも日常で現れる悟りの視点です


また、恐怖でこの光点が現われる
ことがあります


オートバイやオープンカー等の
危うい乗り物で
高速道路を飛ばしていると
予想しない道路のうねりなどで
ジャンプをするような感じに
なることがごく稀にありますが


こんな時
ライダーやドライバーは
身が投げ出されそうなその恐怖のせいで
自分の意識が自分の身体を飛び出し
自分を上空から見下ろすような
感じになる事があります


これも俯瞰の光点です


たぶん私たちは気を留めていないだけで
このような体験を数多くしています
そして、忘れてしまっています


また
人と死別するような大きな悲しみでも
この視点が現われることがあります


とても悲しい筈なのに
全く悲しくない、とても冷静な視点で
その状況を見ている自分を発見し
少し戸惑う人も居るかも知れません


まだまだ例はあると思います
私たちは意外にもこれらの体験を
数多くしているのです


この光点たちには特徴があります
実はこの視点たちは
ほとんど思考をしません
ただ淡々と認識する視点です
そして
ほんの少しだけ微笑んでいる場合が
多いのです
この視点に特定の色や薫りや形を
感じる人もいるかも知れません


この光点が現われる時は
緊迫した状況である場合が多いので
マインドの騒がしさと光点の冷静さの
明暗を感じとり易いと思います


この視点は
日常に現われる悟りの欠片です


意識的にその視点を作り出すことも
瞑想でそれを出現させることも
困難ですが
今までの自分の体験の記憶を遡り
忘れられているそれらを
思い出すことはできます


そして
その経験を、繊細に味わい直せば
俯瞰の薫りや悟りの微かな手触りが分り
その後の瞑想に役に立ちます


臨死体験をした人も、似たように
天井から自分を見下ろす視点になった
体験談を話しますし


幽体離脱を経験する人も
同じような体験を語ります


かなり特殊な例ですが、これらも
もしかすると、何らかの関係が
あるのかも知れませんね