スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

悟りの地図

悟りの地図はとてもシンプルです
そのルートを説明します


まず、「意識」がある事を感じます
そして、その意識世界の中に
「私」という「区切り」がある事に
気付きます


次に、その「区切り」は
ただそう思っているだけの想念だと
知ります


今住んでいる土地を自分の土地だと
思っているのと同じですね
鳥や虫や風や太陽は、この決め事を
まるで気に留めませんし
そこには客観的根拠もありません
「私という区切り」も「土地の所有」も
まったく同じです


そして
その「区切り」が幻だと気付くと
「私」と「他」との区切り(境界)が
希薄になり、自と他が同時に消えます
結果
一つの意識世界だけがある事がわかります


苦しみというのは「私」があって
初めて成り立つものなので
「私」がなくなると
苦しみは大きく減ります
「身体」の苦しみは残りますが…


この段階で「悟り」だという人もいます


そして次に
一つの意識が存在しているという事は
それを見ている何かが同時に存在して
いるのだと気付きます


なぜなら、存在というものは
何かが何かを認識することで
発生するからです


つまり
右手で右手を触ることは出来ません
左手で触れてみて初めて
右手の存在確認ができるという事です


「存在」は「分離」と同じ意味なのです


ですから
意識が存在するという事は
意識を見ているものがいる訳です


そして
意識を見ている主体は
自我のある通常の状態からは
「沈黙 静寂 空白」に感じます


探求が進むとこれを
「本当の自分」「これ」「真理」
「ハート」「神」と感じ出します


この主体から見る視線が
「本物の俯瞰」です
その視線はジャッジ無しの視線です


そして逆に
この主体に見つめられる体験が
「祝福」と「恩寵」です
この視線もジャッジ無しの視線です


この段階まで来ると
苦しみが消えるだけでなく
至福を感じることがあります


実用的な悟りはここまでで十分です


この先はアドバンスコースになります
実用性があるかどうかも分からない
趣味性の強い冒険コースです

 

「意識」と「意識を見つめるもの」
の分離を統合します

 

ここは予測しかできませんが
「絶対的な無」のようなものだと
思われます


そして以上が
「悟りの地図」です


たったこれだけです
とてもシンプルですね

 

悟りは、ともすれば
幻のワインのように思われ
高値で恭しく取引されるもののように
思われますが


本来は、水のようなものです


特別な才能を持つ人や
高額なお金を払った人だけが
得られるものでなく
雨が降れば
民にも王族にも鳥にも虫にも
分け隔てなく与えられるものです

 

「悟り」を希求する人は
悟ってしまうと「なんだこんなものか」と
思ってしまう事もあるようです


それもそのはずで
悟りを得ただけでは
家に水道をただ引いただけの状態と
変わりがないのです


初めは物珍しい蛇口も
やがて見慣れてしまいます


その水道を使って
どんなお茶を淹れるか
どんな料理をするか
頻繁にお風呂に入るかが
重要な訳です


悟後の修行という言葉がありますが
実際大事なのは
悟後の紅茶という訳です


これからの時代の「悟り」は
ゴールではなくスタートと捉える方が
良いと思います、再誕生ですね


もう一度生まれて、どう楽しむか
どう遊ぶかということです