スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

明晰夢と覚醒

夢の中で「あ、これ夢だ」と
気付いたことはありませんか?


それは明晰夢というものです


この明晰夢体験は
したことがない人もいるかも
知れませんが
偶発的にこれが起こると
私たちは、少し面白い体験を
味わうことが出来ます


夢の中で「これは夢だ」と判ると
その夢の中で好き放題が出来ることも
ありますし


その覚醒の感覚が弱いと
またすぐに夢に飲み込まれてしまい
単なる普通の夢に戻ってしまうことも
あります


また、その覚醒の感覚が強いと
夢を見ている者、つまり普段の
自分の感覚や記憶を思い出し
そのまま眠りから醒めてしまう事も
あります


なかなか面白い体験ですが
これは通常の「悟りや覚醒」との
共通点が多く、それに付いての
貴重なヒントとなります


   そのヒントとは
明晰夢の中では、主人公である自分を
   どこかで見ている者がいる事に気付く
②この夢の世界の中に現われている
   ものは丸ごと一つであり、等価であると
   気付く、ということです


まず最初に、夢の中の主人公は
自分が想像されているものだと
気付きます


そして、想像している者の記憶を
おぼろげながら思い出します


その結果、自分もこの夢の中の世界も
幻だと気付くのです


自分も世界も幻であることが解るので
断崖からジャンプも出来ますし
恐ろしい怪物にもまったく怯まず
笑いながら対峙できます
何があろうと自分は傷つかないと
知っているからそれが出来るのです


本物の覚者は
悟りを「得る」とは言わずに
「思い出す」と表現しますし
「本当の自分はどんなことがあっても
傷つく事はない」とも言います


何だかとても似ていますね


そして面白いのは
主人公自体が、そのまま悟る訳ではない
ということです
逆に、主人公の自我感覚が
薄く曖昧になった分だけ覚醒が
進捗していきます


仮に主人公の自我意識が強いまま
「覚醒しよう、覚醒しよう」として
頑張っても
それは「主人公が覚醒を頑張る夢」を
見るだけになってしまうのです


あなたは主人公ですが
実はそういう設定なだけで
本当のあなた=主人公を見ている者は
その世界に在るもの全てを均等に同時に
想像(創造)しています


あなたも世界も共に客体であり
見られているものです
本当の自分から見れば
夢の中のあなたも、あなた以外のものも
平等であると判ります


自分はただ見られているだけの
設定上の主人公だと腑に落ち
それを見ている者を思い出す事が
夢から醒める事=覚醒な訳です


そして
明晰夢を見る時
最初に感じるシグナルがあります
それは何かというと
「ん、この世界、なんか変だぞ」という
違和感です


スピリチュアルに
興味があるということは
既にこれが起こっているという事です


あとは、あなたと世界を創造している
本当の自分を思い出すだけです


しかし、実は
ここからが大変なのです
そして楽しいのです


夢の中の主人公が
本当の自分を見つける事は


夜空が太陽にあこがれること
音楽が沈黙にあこがれることに
似ています
夜空は太陽を見た瞬間に
音楽は沈黙を聴いた瞬間に
消えてしまいます


夢の中で夢から醒める時も
強く覚醒すると、夢(現実世界)は
消えてしまい
主人公も主人公の記憶や自我も
消失してしまいます


また、弱い覚醒だと
夢の中(ありきたりの現実世界)に
すぐ戻されてしまいます


実際に
スピリチュアルを探求している人は
弱い覚醒を何度も起こしては
また夢の中に戻ってしまうという事を
繰り返している人がとても多いので
はないかと思います


また、あまりに強く覚醒してしまうと
大覚者ラマナマハルシのように
アルナーチャラ山の洞窟の中で
足を虫に喰われても、動くことも無く
喋ることも無く
他の人の介助無しには生存する事も
不可能になってしまう事もあります


ラマナの場合はその後
徐々にこの現実(夢)との接点を取り戻し
現実(夢)まで降りてきて
私たちに教えを説いてくれました


この覚醒の強度の調節というのは
宇宙船の大気圏再突入の角度のような
バランス感覚の難しさがあります


浅いと跳ね返されて宇宙(夢)に戻り
深いと(自我が)燃え尽きてしまいます


では私たちは
具体的にどう突入すれば良いかと言うと


いつもより思い切った深い角度で
瞑想をすればいいのです
少々深い角度で瞑想をしても
ラマナのようには中々なりません
むしろ私たちの普段の瞑想は
角度がかなり緩やか過ぎるのです


深い角度の瞑想とは
「意識が存在する事の不思議」に
向かって瞑想することです


在るということの不思議


これに向かって瞑想し
その感覚を調査します


意識が想像しているから世界は在るのか?
それとも世界が先に在るのか?
それは同時なのか?
「在る」を認識する最初の感覚や感触は
どんなものか?
「認識」とは何か?その感触は?
何が何を「在る」と認識をしているのか?


その感覚感触に繊細にフォーカスします


これは、
個人性が無いことが腑に落ちた後の
第2の悟りの課題ですが
とても楽しいので
是非取り組んでみて下さい


その答えは
瞑想中や探求中ではなく
意外な時に意外な所から
やってくるでしょう

 

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