スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

ファントム

1999年のアメリカの映画で
シックス・センス」というのを
観たことはありますか?


これから観ようと思っている人は
ネタばれになってしまうので
この記事は、映画を観た後に
読んで下さいね


     -あらすじ-


ブルース・ウィルス演じる小児神経科
のマルコムは優秀な医師だったが
ある時、彼の前に昔の患者が現われ
「救ってくれなかった」
という理由でマルコムを襲い
マルコムは負傷してしまう
そして、その場でその患者は自殺して
しまった


マルコム医師は、傷が癒えたものの
患者を救えていなかったという
自責の念を抱えて落ち込んでいた
それに加えて
妻とも上手くいっていないようで
彼は、妻に無視されるようになっていた


そんな折、マルコム医師は
いつも何かに怯えているような
少年コールと出会う
マルコムは救えなかった患者と
コールを重ね合わせ
なんとかコールを救えないかと
思うようになる


マルコムの努力の甲斐もあり
彼と少年コールは心を通わせた


やがて少年コールは
マルコムに悩みを打ち明ける


少年コールは
死者が見えてしまうという自分の
The Sixth Sense(シックスセンス)に
悩んで、怯えていた
彼は、その能力のせいで
学校でも疎外されていて
母親との関係も上手くいっていなかった


マルコムとコールは
その能力の意味を一緒に探し始める


そして
ある少女の霊とのコンタクトを
きっかけに、霊たちが自分を頼り
満たされない思いを告げる為に
自分の前に現われていると知り
自分の能力の意味とその使い方を
学んでゆく


その後
母親との関係も改善した少年コールは
妻との関係に悩んでいるマルコム医師に
「妻が寝ている時に話しかけたら」と
アドバイスをする


そして、マルコムは妻が寝ている時に
話しかけ、そして、彼の妻の寝言を聞く
「マルコム…どうして私を一人にしたの?」
彼女の手からマルコムがしている筈の
結婚指輪が床に転がり落ちた


そこでマルコムは
自分が既に死んでいて
実は、ファントムであると悟り
浄化されていく


     -あらすじ終わり-


こんな感じの映画なのですが
少し怖いですが、かなり面白く
良く出来た映画なので是非観てみて下さい


この映画の主人公のマルコム医師は
自分が霊であるとは知らずに
色々と動き回って活躍し
他の霊のことも怖がったりしています


そして、ここからが本題なのですが


このマルコムの状態は
今の私達とそっくりなのです


このブログの記事を書いているのは
実は、ファントムです
そして、記事を読んでいるあなたも
ファントムなのです


ファントムというのは
自我や心(マインド)です


私たちはいつの間にかこのファントムを
自分だと思い込んでいます


街ではこのファントム達が闊歩し
出会い、会話し、働き
恋をしたり、憎み合ったりしています


覚者などが、街に出た時に
「みんな眠りこけている!」
という感想をよく持つのは
「自分はファントムだ」という事に
みんなが気づかずに過ごしている事が
手に取るように判るからなのです


私たちは幽霊やお化けを怖がりますが
何を隠そう、私たち自体が
個々の肉体に取り憑いている
ファントムなのです


ちょっと面白いですよね


私たちの個々の肉体自体は
物理的には互いに離れて存在しますが
元を辿れば二つの細胞が融合し
それが分裂したものです 
それらは、時間軸を考慮すると
すべては繋がっていて同じ細胞です
種は、巨大な一つの生命体なのです


また、種を超えて
すべての生命自体が一つとも言えます


その巨大生命体の
見かけ上離れている各部分に
憑依したものが
マインドでありファントムです


本来はその各部分が正常に動く為に
魂とよばれる小さな精霊のようなものが
いましたが、それを乗っ取り
肥大化したものがファントムです


ファントム達は「一つのもの」を
仮想的に分断するものです


その結果
優遇の歓喜という刺激と
孤独という苦しさを獲得しました


川の流れを、ある所でせき止めれば
そこに正圧と負圧が生まれます
それが、喜びと苦しみです


そして、ファントムの正体は
何かというと


それは、想念でできた容(かたち)と
そこに流れ込むエネルギーで
成り立っています


想念の容(かたち)に流れ込む
怒りのエネルギー
嫉妬のエネルギー
性的エネルギー
愛のエネルギー
慈愛のエネルギー


元々このエネルギーたちには
意味はありませんが
容に流れ込むことで、翻訳されます


また
テレビやネットや触れ合う人の中でも
粗い波長の人やモノに触れると
あなたの容もそれに同調するため
粗いエネルギーがあなたの容に
流れ込みます
それは、とても苦しいことなので
極力避けた方が良いでしょう


やがて、寿命が尽き
身体が死滅し、想念の容がなくなれば
これらのエネルギーは散開し
また、どこかにある同じ周波数の容に
流れます


これが、前世のビジョンを見る原因
となりますが


実際のところ、一つの魂が
個人性を持って前世を経験する
というのではありません


個人性を失ったエネルギーが
離合集散するため
前世があると言えばある
という程度でしかありません


しかしこれも、想念の容が勝手に
翻訳しているだけで
本来、意味はありません


そして、想念の容というファントムが
あると、永遠に刺激と苦しみの連鎖が
続いていくのです


スピリチュアルに
興味を感じるということは
この想念の容に違和感を
覚えているという事です


その人たちは
想念の容に、幼さや粗さを感じます


想念の容(ファントム)は
意味という材質で出来ていて
個人性という構造をしています


これを解体していくことが
悟りへの道で、生きている内に
成仏することに繋がります


ただ、私たちは通常
ファントムを自分だと思っているので
自分を解体する事に、恐怖を覚えます


また
スピリチュアルを妙に毛嫌いする
人たちもいますが
その人たちは、スピリチュアルが
自分(ファントム)を消滅させる勢力で
あると、本能的に分かっていて
ファントムが拒絶反応を示しています
彼らは、怖いのです


でも本当は
何も怖がる必要はありません


意味やマインドや個人性が
幻であると判って消失したとしても
全てが消えてしまう訳ではありません


残るものは
意味を持たない認識
つまり、ジャッジの無い認識と意識です
そして、身体を護る小さな精霊です


今まで気に留まらなかった沈黙と静寂が
美しく見え始め、ワンネスを感じ
全てはあなたの持ち物のように感じます
それと同時に、自分も含め
「誰もいない世界だ」とも感じます


今までの自我も無くなる訳ではなく
小さな精霊の使徒として働きます


自我やマインドを自分だと思い
今まで通りに、幸と不幸、幸運と不運に
振り回されながら生きるのも
ある意味、刺激的ですが


それに辟易した人は
ファントムの幻想を見破って
あなたの世界の層を変えてみるのも
悪くないと思います