スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

瞑想を成功させるには

瞑想には、数え切れないくらいの種類が
ありますが、その中でもメジャーな
静かに座る瞑想についての
成功させるポイントを説明します


大抵、瞑想の前には
静かに背筋を真直ぐにして座り
心を静かにして、何もせずに
自分の内側に入りましょう的な
定番の説明を受けます


そして、私たちも何となく
「ああそうだよね」と思って
当たり前のように瞑想を開始します


しかし、よく考えてみると


「ところで、内側ってどこ?」という
疑問が湧いてきます


ちょっと親切なところでは
その内側とは
何があっても変わらないもの
まったく動かないもの、であると
説明をしてくれたりもしますが


普通は、心の中心の
自分のコアのようなものや
自分の無垢な本心
はっきりとは分からないけど
ポジティブで大切なものや
温かいハートなどかなと想像します


そして、雑念や想念を掻き分けたり
無視したり、俯瞰したりしながら
その内側に宝物を探しに行きます


しかし、この通常の探し方だと
お目当てのものは中々見つかりません


というよりも
既に目の前にあって
常にそれに触れているのですが
それが
つまらない物やありきたりの物
に感じてしまい、宝物に見えないのです


瞑想中に、払い除けるべき想念や雑念
というのが、何で出来ているかというと
それは「意味や言葉」で出来ています


または
「意味や言葉」が石化して
化石のようになってしまった感情や
「意味や言葉」になる前段階の
エネルギーの雲のようなものの場合も
ありますが、結局のところ
それらは、「意味と言葉」です


そして、それ以外のものが宝物なのです


それは、書籍に例えると
想念や雑念や自我は、印刷された活字で
それ以外の空白が宝物な訳です


何となく探していた
無垢な本心とか、ポジティブなハート
なども、「意味と言葉」なので
実は、活字ということになります
それは、お目当ての物ではありません


宝物は、活字の間にある空白や余白です
もう少し正確に言うと
宝物とは、「沈黙と静寂」です


それは
何時でも何処にでもあるものです


自然の中にもありますし
繁華街の喧騒の中にも常にあります


しかし
沈黙と静寂は、目の前にあっても
まるで魅力的に見えませんし
普通に瞑想をしても、それが魅力的に
見えだすという事もありません


ですが、逆に
沈黙と静寂や意味の無いものが
輝いて見えた時は
「内側に入った」という事になります


想念や雑念を俯瞰したり
自分の無垢の中心を探したりするのは
全部、意味と言葉の次元で動いている
ことになりますので
本の活字を追っている状態です


それは
水平の次元で探索をしているのです


沈黙と静寂が輝く世界に降り立つには
縦に、垂直に探さないといけないのです


しかし、私たちは自我を自分だと
思っています、そして
自我も「意味と言葉」で出来ているため
通常の瞑想では
「意味と言葉」が「意味と言葉」を
同じ水平次元で探している状態なのです


その水平次元に住む生き物に対し
垂直に探せというのは


私たち三次元の生物に向かって
四次元方向に動けと言うようなものなので
普通は不可能な訳です


しかし
経験的に見つけたものですが
良い方法はあります


それは瞑想前の環境づくりです
実は瞑想方法などは何でも良いのです
肝心なのはその前や瞑想中の環境です


その環境づくりが上手くいけば
歩いていても、お風呂に入っていても
内側に入ることができます


そしてその方法とは
「マインドを抱き参らせる環境を作る」
というものです


想念や雑念や自我は、否定をしたり
無視をしたりすると、余計に強化されます
それを優しい肯定の雰囲気で満たして
あげる事で安心させ飽和させ
浄化させるのです


本当は肯定も否定もしない
ジャッジ無しの雰囲気が良いのですが
それだとマインドや想念は気付きません
程よい肯定の雰囲気が良いのです


普通よくある瞑想会の風景は
集まった人たちが周りを見て
「あの人は分かっている人かな」とか
「主催者は悟っているのかな」とか
値踏みを始めます
または
自由過ぎて周りなどは気にしない
雰囲気である場合もあります


こういう場合は
水平次元のままになってしまうのです


刹那的でもいいので、安心という環境や
絶対的信頼の雰囲気を上手く作ると
自我やマインドは泡のように浄化されます


そして
そうなると自然に「想念や雑念」に
興味がなくなるような感じ
それがどうでも良い昔の出来事のような
感じとなり、結果として
探しているものが浮かび上がります


環境づくりということは
メンバー選びという事でもあります
全員である必要はありませんが
その雰囲気を出せるメンバー
「他人も自分もありのままで完璧だ」
「君も私も祝福されている」と
本気で思っているメンバーを
ある程度集めることが、内に入る瞑想を
成功させる鍵となります


一人で瞑想をして
「マインドを抱き参らせる」環境を
作るのはかなり大変です


肯定は、他人からされる方が
数倍効果がありますし
複数人だと、間違いなく桁違いの
浄化の効果がでます


瞑想をしている人は
この雰囲気を出せる主催者の瞑想会に
出席してみたり
皆さん自身が、少人数の瞑想会を
企画してみてはいかがでしょうか?


この環境づくりに成功すると
瞳孔が開くからなのか
その場のルクスの量と質が
上がったように感じられます


この環境づくりは、もしかすると
瞑想環境に限ったことではなく
良い人間関係や社会環境を作るヒント
にもなるのかも知れません