スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

いまここ 完璧な休息

私たちは、絶えず疲れています


休息が必要な筈なのですが
それを上手く取ることは
あまり出来ていません


休日に家でゆっくりしても
睡眠をたっぷりとっても
疲れが取れない人も多いのでは
ないでしょうか


ちゃんと休息をしているのに
なぜ疲れが取れないかと言えば
休んでいる間にもバックグラウンドで
常時マインドが走っているからです


横になって寛いでいても
睡眠を取っている時も
マインドは過去を後悔し
未来を心配します
そして
自分が得をする方策を絶えず
考え続けています


それは、パソコンやスマホを起動し
何の操作もしていないのに
バックグラウンドで多くの
プログラムが走り回っている状態です
何もしていないのにビジー状態な訳です


私たちは常に
この状態でいっぱいいっぱいなので
新たに何か操作をしようとすると
フリーズをしたり熱暴走をします


完璧な休息を取るには
バックグラウンドで走っている
プログラムを、全て停止する必要が
あるのです


瞑想は、意識を変容させたり
悟りの手がかりを得るためにする
修行のようなものだと思っている人も
いるかと思いますが


瞑想の一番の目的は
完璧な休息を取るためのものです


そして、逆に完璧な休息を取ること
ができなければ、悟りの手がかりを
探すこともできません


夜寝ることを楽しみにしている人も
休日に身体を休めることを楽しみに
している人も多いと思いますが
本来、瞑想は
それ以上に甘美で癒しに満ちています


ちょっと修行的なイメージや
苦行的な印象を持っている人は
少し取り違えています


瞑想をする際
思考や想念を俯瞰する事や
雑念を消すことを第一目的としても


それは逆に
想念を強化してしまいます


瞑想の第一目的を
完璧な休息を取ることとすると
想念は自然に消えていきます


瞑想をする時は
就寝時に暖かい布団に入る感じ
マッサージの施術台に上がる感じ
適温の温泉につかる感じで
気楽にそれを始めれば良いのです


完璧な休息を取るための瞑想は
けして初歩的な瞑想ではありません


むしろ、ブッダの瞑想です
「疲れ」を捨てる事を第一とし
ネティネティと全てを捨てていく
全てを手放す瞑想でもあります


まずは
ソファーでも布団の上でも
自分が一番楽な姿勢を取ります


そして
自分の身体で力が入っている部分を
探します
大抵の場合、肩と首に力が入っていて
手のひらや手の甲が強張っていて
喉が締め付けられたようになっています


休息することに緩やかに集中し
これらの部分の強張りを
捨てていきながら、同時に
過去の後悔や未来の不安を捨てます
過去と未来を考えない事で
「いまここ」に留まります


ここからは
自分が思いつく全てのものを
どんどんと捨てていきます


名前を捨て
年齢を捨て
性別を捨て
意図を捨て
信念を捨て
記憶を捨て
人間関係を捨て
愛情を捨て
良心を捨て
怒りを捨て
自他の境界も捨てます


それぞれの器に溜まっているそれらを
器を傾けて流し、捨てていき
全てを空の器にするイメージです


ここまで捨てていくと
身体はどんどん軽く、透明になります


捨てていった名前や年齢や信念などは
概念や想念でもありますが
「あなたの疲れ」でもあるのです


やがて、呼吸と意識だけが残ります


そして呼吸も手放します
すると呼吸は自分でしているのではなく
自動的に呼吸が起こっているのだと
気付くことでしょう


ここで完璧な休息が完成します


自動で起こる呼吸と
純粋な意識に寛いで下さい
この瞑想に慣れてくると
完璧な睡眠を取った時以上の休息を
体験することができます


ポイントは
スピリチュアル的な欲を捨てて
完璧な休息をするつもりで
瞑想をすることです


ただ休息に寛ぎ
自動で起こる呼吸と
純粋な意識を味わっていると


その時、または、それ以降のある時に
スピリチュアル的な気付きも
意図せず展開し始めるでしょう


最後には
意識自体を手放してみるのも
良いかもしれません