スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

無為自然を知って人生を好転させる

老子の教えに「無為自然」というものが
あります、これは
ブッダの「空」と並んでかなり究極の
教えなのですが、普通の感覚で捉えると


「何の目的もなくブラブラ過ごす」
といった感じで捉えがちです


また、「無為」という言葉は
「人生は短いから無為に過ごすな」
といったようなネガティブな言い方にも
使用されます


なぜこのように
無為自然」が矮小化して理解され易い
かというと
言葉上の意味と真の意味の間に
乖離がある為です


「無為」は、言葉上では
「意図がない、作為がない、目的がない」
と言う意味で使われ、無為な人というと
考えがなくボーッとしている人といった
イメージになってしまいます


しかし
老子が語ろうとしている真の意味は
「価値判断しない」「ノーマインドの」
という意味なのです


そして、後に続く「自然」という言葉は
「ありのまま」という意味なので
合わせてみると


「価値判断をしないでありのままを見る」
「ノーマインドでありのままを生きる」


という意味になります、これはほぼ
「ジャッジ無しの視線」「神の視線」と
同義語です


マインドの水平世界でなく
垂直の世界を見ましょうという事です


マインドの水平世界は
損と得、自と他、美と醜などの対比で
出来ています
そして、その元になっているのが
自他の境界である「自我」です


それに対し、垂直の世界とは
自我の幻想性を見破った世界で
自他のない世界です
一つの世界しかないので、そこに
世界を分断するマインド(価値観)は
存在しないのです


老子の説く「無為自然」を
現代的に翻訳すると


世界を分断することなく
自他を分断することなく
ありのままに一つと見て
そして、それを拠り所として
積極的に行動しましょう


という事になると思います


そして、ここからが本題ですが


人は、この「無為自然」そのものと
なって生き始めると
人生が、好転をし始めます


というのは
マインド主体で生きている時は
孤独を感じ、全方位に敵しかいないと
思っていた人生が
無為自然」で生き始めると
周囲が味方だらけとなり
周囲があなたを助け、応援し
愛するようになっていく為です


これは、なぜかと言うと


マインドで生きるという事は
世界を価値観で分断し
自他を想像で分断するという事で
これは
「自分以外はすべて敵である」と
宣言する事と同じ意味なのです


「自と他」というのは、「味方と敵」と
同じ意味であり、これを宣言してしまうと
世界の方もこれに合わせてきます


勿論、自分のもの
(自分の家族や会社や友達など)は
味方ですが、自他の区分け次第では
何とでも変わるものなので
その味方達も、お互いにあまり信用は
出来ません


このマインドの水平世界は
自分と敵しかいない世界なのです


それに対して
無為自然」の世界で生きる人は
一つの世界の為
一つの世界の重心点の為に行動します


その重心点は、万人にとっての
幸せの共通項、最大公約数なので
皆が喜びます


もちろん「無為自然」の人の世界には
自分や他人や万人などは存在しませんが
結果的に、皆が喜びます


周りの人達も普通はマインドの世界に
住んでいるのですが
ワンネスの世界の為に動く人の薫りには
とても敏感です
スピリチュアルに興味がある人よりも
普通の人の方が、敏感かも知れません


ただ
あなたが「無為自然」で生きた場合
「助けてくれそうだな」と
予想する人からの応援は
無いかも知れません
マインドの予想は当てにならないのです


その代わり、思いもしない所からの
応援や助けが、頻発するでしょう


そして気付くと
あなたを応援する人、助ける人
愛する人で溢れている事になります


無為自然に生きることは
世捨て人のように、ぼんやり生きる事でも
何もしない事でもありません


自分の為でもなく
他人の為でもなく
ただベストを尽くす生き方です

 

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