スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

サレンダーと法然上人

日本の仏教では
よく地獄の描写があります
とても細かい説明や
禍々しい解説画もあったりします


しかし
これは少し妙な事なのです


なぜなら、仏教の始祖であるブッダ
「この世界が存在している理由」や
「死んだ後の世界」については
弟子から質問をされても
決して答えることは無かったからです


ブッダの当時の説法は99%が
今現在の在り方について語っていたと
言われています


彼は形而上の哲学的な議論や
確証のない地獄や天国の話は
あまり好まなかったそうですし
過度な神秘主義は否定していました


ほんの少しそういった話をしたとしても
それは殆どが方便であったと思われます


しかし
ブッダの死後、数百年して書かれ出した
経典には、ブッダが好まなかった事
否定していた事も、何故か詳細に
書かれ始めたのです


つまり、日本の仏教は
ブッダの教えから少し変質し始めた
その経典たちを元に
地獄や天国を語っている訳です


日本においては、地獄の詳細を
平安時代の高僧である源信
驚くほど克明に紹介しました


そして、この平安時代
仏教は皇族や貴族の物であり
大金をはたいて
大仏や寺院を建立しなければ
極楽往生は出来ないとされていました


この時代の「地獄という概念」は
皇族や貴族の不安を煽ることで
彼らからお金を引き出すことが出来る
とても有効なビジネスツールだった
のかも知れません


また、仏像建立で成仏するなど
偶像崇拝を禁止していたブッダから
見ても呆れた話でしょう


ブッダの教えが
インド→中国→日本と伝搬する内に
少しずつ変質していることを
当時の日本では、知るすべはなかった
と思われますが
仏教自体が最新の舶来思想でもあり
まだその本質をきちんと自分のものに
出来ていなかったのかも知れません


そして、その後
鎌倉時代に「法然」が現れ


日本の仏教を本物にします


法然は浄土宗や浄土真宗の祖で
ただ南無阿弥陀仏と唱えれば
極楽往生できるという
「他力本願」を説いたのです


極楽往生したいと思ったなら
ただそれだけで
乞食も庶民も金持ちも
男も女も悪人も善人も
一切合切が成仏できる
救済されると説いたのです


「金で成仏を買う」といった
平安までの宗教ビジネスを破壊させ
皇族や貴族のものだった仏教を
本当に必要な人たちに届けたのです


また法然以前、日本では
女性は成仏できないとされていました


しかし、本家のブッダには
当然、優れた女性の弟子達も存在します
遊女出身のアンバパーリーなども
悟りを得ています


これを見ただけでも
法然以前の日本の仏教が如何に
歪んでいたかが分かります


そして
法然の説いた「他力本願」は
名称的に誤解を受け易いのですが
けして「自分は何もせず他人まかせ」と
いう意味ではありません


当時の人達に伝わる言葉として
「仏様の慈悲にすがる」という言い方で
死んだ後の極楽浄土を目指していますが
実際には
サレンダー(明け渡し)によって
現世における悟りや救済を
目指していたように思えます


法然の場合、仏様にサレンダー
しなさいと言っていますが
近代インドの本物の覚者たちは
グルにサレンダーしなさいと言います


つまり、明け渡す相手は
仏様でもグルでも石ころでも
何でも良いのです
肝心なのは、本気で自分を投げ出す
本気で自分を空にするという事です


サレンダーすることで
自分が無くなり
自分が無くなれば結果的に
他者も消えます、つまり
自他の境界を無くすという事に
なる訳です


悟りを目指す者たちは
その時代その時代により、その人が
サレンダーし易い対象を勧められますが
本来は対象がいない方が好ましいのです
相手がいるとどうしても相対的に
自分が存在してしまうからです


なので現代のスピリチュアルでは
相手無しのサレンダーを目指します
ただ自分を明け渡す
ただ自他の境界を消失させます


これは、愛や感謝を使ってでも出来ます
目的語の無い愛や感謝です


誰を愛するではなく、ただ愛
誰に感謝するのでなく、ただ感謝です


その時
愛するあなたも消え
愛される誰かも消え
愛だけが残ります


感謝するあなたも消え
感謝される何かも消え
感謝だけが残ります


これらは精妙なサレンダーです


法然の「他力本願」も上手くいくと
念仏を唱える人が消え
仏さまも消え
南無阿弥陀仏」の響きだけが
残ったと言います


誰もいないのに
念仏の響きだけがあるというこの現象は
当然、比喩な訳ですが
スピリチュアル的に言えば、この時
自他の境界が消え、ワンネスの世界が
現れている至福の状態と
言えるかも知れませんね


悟りの道は
知恵の道、献身の道、修行の道が
あると言われていますが
サレンダーは献身の道です


法然は、本物の悟りの道の一つ
サレンダーの道を示した訳です