スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

孤独とスピリチュアル

心を許す相手がいない
誰からも認められない
孤独死


このような「孤独」を怖がる人は
とても多いと思います
(実際は、人がそれを怖がる
というよりも
個人性を持つマインドや身体が
その孤独を怖がる訳ですが…)

 

確かに、私たちにとっては
「孤独」は一見恐ろしく見えます


ですが
少しスピリチュアル目線で見てみると
その恐い外見というのは、仮面であり
真の姿は「幸福に繋がるゲート」で
あると判るようになります


孤独な時は、あなたは誰からも
見られていないという事になりますが


その時、あなたは
誰にも見られていない状況であっても
「あなたという意識」が確かに
そこに存在していると感じています


そして
あなたという意識や自我が
そこに存在しているということは
あなたの「自我以外の何か」に
認識されているということです


誰にも見られていない時
誰かに見られている訳です


他者の視線のない環境は
雑音のない環境です
普段は気にすることのない
「あなたの意識を見つめるもの」と
静かに対峙ができるのです


「気づき」ではなく「気づかれ」を
感じ易くなっています


それは、あなたが生まれた時から
あなたを見つめています
あなたが苦しい時も、楽しい時も
人には言えない事をしてしまった時も
人知れず美しい行動を取った時にも


それは、何の裁定もせずに
ほほえみながら見続けています


スピリチュアル的には
「孤独」という名の時間は
ほんとうに肝心なものに
一番接近する時間帯です


そして、その何者かにコンタクト
することが本当の恩寵や幸福なのです
理由もなく「私は孤独ではない」と感じ
理由もなく一番大事なものと
繋がっている歓喜と安心を覚えます


これが「孤独の幸福」です


人によっては
自分の意識の片隅に
優しく微笑んでいる空間が
常にあったことを思い出したり
金色の光が常にあったことを
感じたりするようです
そして、それらはけして喋りません


あなたが、孤独である時
自らの心臓(ハート)に手をあて
その中心を感じ
目を閉じて静かに深呼吸をすると
そのゲートは開き易くなります


是非、試してみて下さい


とは言っても
「孤独の幸福」というものは
感情ではないもの
感覚ではないものであり
とても繊細でスピリチュアルなものです
これだけを求めていては
神様のようになってしまいます


人間は生きている限りにおいては
俗的な幸福も必要です


マインドは、身体を守る機能として
必要であり、その幸福も必要です
当然、生物的な幸福も必要になります


では「孤独」を避け
マインドや身体も幸せになるには
どうすれば良いのでしょうか?


逆説的になりますが
その方法とは
「孤独の幸福を知ること」と
「孤独を怖がらないこと」です


人は「孤独の幸福を知る者」には
満ちている感じ、無尽蔵な感じ
明るい感じを受けます
人々はそこに無意識に集まってしまい
孤独という状態は霧散します


逆に「孤独を怖がっている者」の元には
あまり人は集まりません
その者に対して
欠けた感じ、物欲しそうな感じ
エネルギーを奪われそうな感じを
受けてしまうからです


たとえば
彼氏や彼女がいて
その関係が上手くいっている時は
妙に他の異性にモテるけれど
別れると何故か異性にモテなくなる
という体験などと同じ原理です


つまり、幸福になるためには
「先に幸福である必要」があるのです


先に幸福であるということは
他者や環境に依存しない
独立した幸福を知っているという事です
その人は失敗をしても
散々な目にあっても幸福です


なにせ、すでに幸福な人が
散々な目にあっているだけな訳ですから
幸福は、ゆらぎませんし
その時、ジョークすら思い付きます


そして、そういった状態にあると
マインドの幸福も
生物としての幸福も
俗的な幸福ですら
引き寄せられるように
あなたの元にやってきます


「孤独」は影のようなもので
それを怖がり、それから逃げると
追いかけてきますが
愛してあげると
霧散するだけでなく
恐怖とは真逆のものに変わるのです


また
「孤独の幸福」と似てはいますが
実は少し違うというものもあります


孤独の寂しさが気に入っていて
そのムードを身に纏っている人が
それに当たります


その人は「寂しさ」を餌とし
寂しげな人を好む者
エネルギーを奪われる事を好む者
という獲物をターゲットに
罠を無意識に張っている状態です
ある意味、狩人です


そしてこの関係性は、狩人と獲物の
相互依存状態とも言えますが
この役柄に同一化さえしなければ
「たのしい狩りごっこ」のようなもので
別に悪いことではありません
ですがこれは
「孤独の幸福」ではありません


「孤独の幸福」は
寂しさを気に入る事でも
寂しさを活用することでもないのです


本来のそれは
驚くほど寂しさとは無縁です