スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

私たちは既に知っている

スピリチュアル界隈では
悟りの状態や瞑想の方法などを
熱心に解説しています


しかし多くの場合、抽象的な説明や
比喩や例えを使った説明が多く
聖典や経典の引用や
超常的な体験の紹介などもあり
いまいち、具体的な感触は
掴みにくいものです


そんなこともあり
「もっと現実的に具体的に説明してよ」
と思っている方も多いと思います


今回は、出来る限り具体的に
日常の中で悟りに接近した際の
リアルな感覚を
お伝えしようと思います


普通、悟りに近づいた時の感覚は
かなり特殊で、とても特別なものと
考えがちです、確かに過渡期には
そう感じられる時もありますが


本当のそれ、実際のそれは
けして特別なものではなく
特別な人に与えられるものでもなく
「みんな」のものなのです


そして、私たちは毎日のように
悟りの片鱗を体験しています


ここでは、リアルな五つの悟りの感触を
箇条書きにしていきたいと思います


①  眠る時


 私たちは毎回という訳では
 ありませんが、眠りに入る時
 とろける様な快感を体験する事が
 あります、朝方、二度寝する時など
 にも良く起こります


 この「理由のない快感」が悟りの
 感覚の一側面です
 この快適な睡眠に入る瞬間には
 考え事や想念は、どうでもよい事の
 ように、泡のように消えていきます
 そして、想念が霧散すればする程に
 「とろけるような理由のない快感」を
  強く感じます


 実は
 「想念がない事=理由のない至福」
 であるのです


 そして
 静かに座る瞑想も、これを再現
 しようとしているのです
 もちろん、もっと深く中心に入り
 光の塊のような核心に触れれば
 睡眠でも、瞑想であっても
 意識が飛んでしまいますが
 その核心に触れる瞬間にこの快感を
 得た体験はとても有用なのです


 またたまに、こんな人を見かけます
 理由もないのにハッピーなムードを
 身に纏って普通に生活している人です
 彼らは、楽天家だとか能天気だとかと
 言われてしまいがちですが
 実は、この人達は
 「想念がない事=理由のない至福」
 というこの法則をナチュラルに
 使いこなしている素晴らしい人達
 なのです


 そして、私達も自我が形成される前
 までの幼児時代は、この理由のない
 至福の王国、ハッピーな世界に
 住んでいたのです


 覚者が悟りを獲得するのではなく
 思い出しなさいと言うのは
 このことを指しています


② 安心して胸を撫でおろす時


 例えば、あなたの目の前で
 どこかの子供が道路に飛び出し
 その道を走っていた車が
 寸での所で急停止したとしましょう
 その時、あなたは
 ほっと安心して胸を撫でおろす筈です
 そして、あなたは無意識に
 心臓に手をあて、深呼吸するように
 大きく息を吐くことでしょう


 実は、この安心の感覚も
 悟りの感覚の一つになります


 心配事や不安の概念が消えた時の
 快感が「安心」なのです
 これは睡眠時の理由のない至福とも
 似たところがあります


 そして
 悟りの快感の感触に一番近い表現が
 この「安心の感覚」なのです
 仏教で言うところの煩悩が消えた状態
 の「アンジン」ですね


 この安心を再現させる現代の瞑想が
 「ハート瞑想」という事になります


 ハート瞑想では心臓に両手をあて
 ハートを感じながら
 深呼吸を繰り返します
 天然の安心が起こった時の
 無意識の行為を使って、そこから
 安心を再現しようとしている訳です


 そして、私たちは
 静かに座る瞑想にせよ
 ハート瞑想にせよ
 「瞑想は中々上手くいかないな」
 と感じている訳ですが、実は
 既にあなたは、本物の状態を難なく
 体験しているのです


 なので
 既に知っているという事を知り
 この体験の仕組みを理解しさえすれば
 瞑想を使ってそれを再現し日常に
 落とし込むことはとても容易に
 なるのです


③ あなたの事を裁定したり
  値踏みしたり評価したりせずに
  あなたのありのままを
  受け入れる環境にあなたがいる時


 これは本当に素晴らしい体験です
 この環境にいる時、その場の光量が
 上がったように感じます


 そして、そんな場では
 あなたも周りの人と同様に
 「ジャッジ無しの視線」を
 ナチュラルに他者に向けています
 その結果その場に
 天使が降りている様な
 恩寵が降りている様な感覚を
 感じているのです


 これは優しい親に守られ一緒にいる時
 愛し合った恋人と見つめ合っている時
 信頼できる仲間と一緒にいる時などに
 起こるサードアイの解放です
 もしかすると、人間がいなくても
 自然の中にいる時もこれを感じるかも
 知れません


 これらも悟りの感触の一つです


 しかしこの恩寵は
 その時と場に宿るもので
 その人たちが居れば必ず起こる訳では
 ありません
 人格や考え方や感情は流れ変化します
 その時、その場で
 たまたま起こったギフトなのです
 通常では、再現を期待しては
 いけないのです


 しかし、それを解った上で
 それでも恒常的な再現を試みるのが
 本物の瞑想会です


 数こそは少ないですが
 そんな小さな瞑想会は存在します
 そのような瞑想会は
 自然があなたに向ける様な視線
 つまり「ジャッジの無い視線」を
 鍛錬しているのです


 そのような瞑想会は、やがて増えて
 ゆくでしょうし、そしてそれは
 日常で恩寵を感じる助けとなり
 社会全体を浄化する助けとなります


 もちろん、瞑想会に出なくとも
 それを既に知っているあなたは
 気付きさえすれば
 それを使いこなせるようになります


④ 身体が先に動く時


 私たちは
 思わず身体が動いて行動する時は
 だいたい、最適で良い事
 天が喜ぶような事をします


 思わず悪い事をしてしまう事もあるよ
 と、考える方もいるかと思いますが
 その場合というのは
 その時に考えや想念が渦巻いていて
 それがオーバーフローして思わず
 行動をしてしまっている時では
 ないでしょうか


 そうではなく
 想念無しで、思わず行動する時は
 だいたい、お婆さんを助けていたり
 病人や怪我人を助けていたり
 弱い立場の人や動物を助けたり
 しています


 これが、「天」がやりたい事であり
 「悟りの行動」で
 あなたがやりたい事です
 そして、それが無為自然なのです
 その行動をした時、あなたは
 晴れ晴れとした快感を得ている筈です


 天に任せ自動的に動く身体
 あなたはこの感覚を既に知っています


 「ブギーポップは笑わない」という
 アニメにもなっている人気作品が
 ありますが、作者は、意識的か
 無意識的かは解りませんが、作中の
 主人公を通してこの悟りの一面を
 表現したかったのかも知れません


⑤ いつもと違う行動を取った時


 あなたは、学校や職場に向かう
 道順をなぜか不意に変えてみたことは
 ありませんか


 そんな時も、なんだか理由のない
 清々しさを感じたりします
 これも微かですが、悟りの感触です


 あなたは
 いつもの自分らしい行動に
 少し飽き飽きしていて
 少し違う何かを求めているのでは
 ないでしょうか


 自分らしさとか定番の行動というのは
 想念や概念が固まってできた物です
 本当のあなたはそれを
 超えたがっています


 これは、身体が自動的に動く事
 天に任せて生きる事への胎動です
 あなたは、無為自然の行動がしたくて
 うずうずしているのです


 そしていつもと違う行動をした時
 微かですが、悟りの感触を感じます


 しかし
 概念でできた物は、すべて廃止する
 という訳にはいきません
 熱したフライパンに触ると火傷をする
 というのも、概念ですが
 これは、ある種の知恵です
 そういったものは変える必要は
 ないのです


 見極めながら
 いつもと違う行動を楽しみましょう


以上の五つが
日常で感じられる悟りの感触です


既にみなさんが知っているもの
ばかりですね


この五つの中でも今の私達にとっては
③と②が重要だと思います
そして、これらの感触の殆どが
「想念や概念を霧散させる事」で起こる
悟りの感覚です


そしてまた
これらの現象のとても大事な点は
霧散させるべき想念や概念の
「おおもと」が「私」であると
いう事です


私たちは、この「私」が
「単なる想念や概念である」
「自他の境界という幻想である」
と解った上で
日常の悟りの感触を味わう必要が
あるのです、そうすれば
やがてそれぞれの感覚が統合され
恒常的な悟りとなります


なにせ、私たちは悟りの感触自体を
先に知っている訳です
難しい事ではありません


しかし、今のスピリチュアルの世界は
それを難しいものと思わせてしまう
傾向が少しあります


その原因は、今も昔も悟りを扱う世界は
やや悪い意味で、ビジネスの世界に
似ている所があるからです


例えば、製薬業界の世界では
とても良く効く薬や療法があっても
それが安価であるならば
その薬や療法は世には出しません


そして、彼らは当然のように
なるべく高価な薬を流通させようと
します


悟りという商品も同じです
宗教団体や教会やスピリチュアル業界
にとっては、それが
特別で権威があって秘境的であり
希少価値がないと少し困る訳です


しかし、本当の悟りは
水や石や空気の様なもの
とても庶民的でありふれていて
無料のもので、既に傍らにあるもの
それでいて圧倒的に
素晴らしいものなのです


私たちは、それに気付きさえすれば
思い出しさえすれば、良いのです