スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

石灰の白線

私たちは、行動をする時
望ましい結果や達成すべき目的を
つねに想定しています


人と会う時も
勉強をする時も
水道の蛇口を開く時でさえ
「目的」がある訳です


そして
想定した結果が得られたならば
とりあえず満足しますが
その過程で障害が発生すれば
イライラします
また思うような結果が得られなければ
怒りをおぼえたり
無力感に苛まれます


また、その目的や望ましい結果が
ピンポイントであればある程
それに続く道は細く険しくなって
いきます


それは、まるで綱渡りのロープです
ロープから外れることに恐怖を覚え
ロープが揺れれば、イライラし
ロープから落ちれば死んでしまうような
恐怖すら感じます


しかし、そのロープと言うのは
実は、その人が任意に描いた
地面上の「石灰の白線」に
過ぎないのです


その人が、ロープから足を踏み外し
「あーっ!」と奈落に落ちる感覚を
持ったとしても
実は、白線から3cm離れた地面に
立っているだけというのが
本当の所です
実際は、まるで大丈夫な訳です


このゴールに続く白線というのは
自分で引く事もあるでしょうし
親に引かれる事も
会社に引かれる事も
常識や既存の概念や法律に
引かれる事もあるでしょう


ですが、すべて架空のものである事
勝手に引かれた「幻影」である事に
変わりはありません


私たちは
その幻想性を見破る必要があるのです


そして、あなたは
それを見破ると同時に
石灰を大胆に大地にぶちまけて
10メートル幅以上の大きな白線を
描くと良いでしょう


狭い白線のままでは
まるで良い事がありません
昔のゲームのイライラ棒のように
たえずイライラが起こります


また、ロープから落ちるのが怖いから
怒りというエネルギーも発現します


自分や他の人が
「細い白線から外れていないか」と
神経質になり、また反対に他人の目も
気になります


まったく楽しくなく
息が詰まるような嫌な状況です


もちろん
こんな状況は抜け出したい所ですが


私たちの「意識」というのが
意味や目的や区別で出来ている為
私たちが、完全に
目的や望ましい結果なしで生きる
という訳にもいきません


そしてまた、現代社会は
「幻想(白線)を本物として見なす事」
で成り立っています


なので、現実的な方策としては


なるべく大雑把で大らかな
目的や結果を目指すしかないのです


小さなゴールの一点のみを凝視して
息を殺して歩くのではなく
大きく深呼吸をして
風景を見渡しながら
足元の感触を楽しみ
大きくて大雑把な目標を目指して
なるべく広い道を歩きます


余裕のある広い道は
イレギュラーや障害が当たり前だと
思えるくらい、あなたの気持ちを
大らかにしてくれる筈です


白線の広さは
「価値観の広さ」を表します
それが、広いという事は
自分に対しても他人に対しても
「寛容」だという事です


ただ
現代社会の中で生きるためには
広ければ広い程よいという訳にもいかず
例えば法律のような
有限な範囲は、必要になります


ですが、スピリチュアルでは
これを無限の広さに広げることも
可能なのです


無限に寛容な視点
それは神の視点と呼ばれるものです


この視点には、どの状態が重要で
どの状態に価値が無いといった
区別もなく、意味も無く
目的もありません
そして
全ての地点が始点でありゴールです
結果、そこには時間も意識もありません


とても興味深い視点です