スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

理由もなく苦しい

「鬱」は二つのタイプに分けられます
一つは「元気のある鬱」で
もう一つは「元気のない鬱」です


元気のある鬱の代表者はブッタです


彼は、人間の苦しみや悲しみ
つまり「人間の鬱」に
常時フォーカスをしていて
その苦しみや悲しみを
浄化し解放し解決する為に
苦行をし、瞑想をしました


しかし
苛烈な苦行も、熱心な瞑想も
元気が無ければ
続けることは出来ません


彼は、鬱であり、そして
とても元気だったのです


それに対して
私たちがよく患ってしまう鬱
例えば
「理由が無いのに苦しい」という感覚は
「元気のない鬱」です


この場合は
瞑想する元気もありませんし
苦しみから解放される方法や考え方を
スピリチュアル的に模索することすら
面倒になります、そもそも
その興味すら無くなってしまいますし
呼吸すら面倒です


ただただ、苦しくて虚しいのです


この状態に対し
スピリチュアルは無力です
恩寵や至福ですら
空虚に感じられます


それでは、この元気のない鬱への
対処法は、ないのでしょうか
それについて少し
考えていきたいと思います


まずは
この「元気のない鬱」の原因ですが
これは意外にも、身体の
物理的な熱量不足に因ります


鬱に個別の原因がある場合は別ですが
そうではない場合は
スピリチュアルも関係なく
心理的にも関係なく
これは単純に、身体の発熱不足です
熱エネルギー不足で、ガス欠です


実は、「身体の熱」というのは
私たちの大切なエネルギーであり
「理由の無い喜び」でもあります


あなたは、好きな運動をした後
なぜか、意味もなく身体が
優しく高揚した感じに包まれていると
気付いたことはありませんか
それがこれに当たります


そしてまた、多くの子供たちが
いじめや虐待などの負の要因さえ
なければ、常に喜びの中にいるのは
身体の熱量が多い事に因ります


熱量の多い彼らは、本来
ボールが転がっただけで喜ぶのです


つまり
「理由の無い苦しみ」というのは
「理由の無い喜び」の発生源である熱が
ある一定の基準よりも下がってしまった
ために発生している訳です


そして
身体の熱の主な発生源は「筋肉」です
なので、解決策としては
筋肉によって発熱すると良い訳です


ただ、注意点としては
自らが主導で、自らの意思で
発熱を行う必要があります


例えば
小さな飲食店を経営する高齢者が
いつまでも現役を退かない事が
あったりしますが
経営者である彼は
能動的な労働で発生する熱が
「理由の無い喜び」であることを
知っているのです
高齢で少々身体が動かなくても
彼は楽しくて、嬉しいのです


また、それとは逆に
彼の店の従業員は、同じ労働の熱を
疲労」として感じてしまいます


もちろん
「身体の熱量=理由の無い喜び」
ということに変わりはないので
「自らの意思で」というのは
感じ取るコツなのかも知れません


考え方を変え、普段の仕事を
能動的なものに変えることも
可能でしょうが、それでもそれは
その環境に因る所が多きいでしょう
当然、出来ない事もあります


なので、気軽に能動的に
筋肉で発熱する方法として
既存のスポーツジム等の活用が
良いのではないかと思います


これは
スピリチュアルブログらしからぬ
とても現実的で俗的なお勧めですね


でもこれは
自分の意思で筋肉を動かし
身体の発熱が出来ますし
そこには、水泳、ランニング
筋トレマシン、ダンス、格闘技
太極拳、ヨガ、バレエなどあって
選り取り見取りです


高級店である必要はないので
綺麗なスポーツウエアを用意して
リーズナブルなスポーツジムに
通ってみるのも
良いのではないでしょうか


スポーツジム通い
これは誰でもできる
平凡な事だと思いがちですが
自分の身体の熱量を、意識的に
純粋な喜びとして感じ取っている人は
案外、少ないと思います


また、自宅などで独り運動をするよりも
周りの人たちのエネルギーを感じられる
場であることも良いのです


20年位前にハワイで亡くなった
本物の覚者であるフーマンという人が
いましたが、彼は
「瞑想や真理探究には筋肉も重要だ」
と言っていたと、その弟子の方から
直接聞いたことがあります


その弟子の人は
「フーマンが筋トレ好きだったから
じゃないかな?」と言っていましたが


そうではなくて、実はこれは
身体の熱というのは幸福の大事なベース
になるのだよ、という意味であり
伝えるべき重要な真理だったのかも
知れませんね