スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

ハートの交感

人間は、動物の中で唯一
言葉を喋り、そして笑います


喋るカブトムシも
笑う猫もいません
それをするのは人間だけです


では、なぜ人間が
言葉を使い、笑うかというと


それは
人間の「マインドとこころ」だけが
他の生き物に比べ、少し過剰に発達して
いるからなのです


強いマインドが、存在するためには
世界を細切りにして
概念化する必要があります
そして
概念化には「言葉」が必要です


また、世界を自他に分割した結果
現れた「私の身体」を守るためには
「笑顔」を使い、敵意がないことを
コミュニティの中で伝達する必要も
あります


もちろん
これらのマインドの役割は
とても重要なものです


ですが
この「マインドとこころ」というのは
本来一つのものを、分割するので
存在自体が孤独です


恩寵を遮る雲のようにも働きます


私たちは、強いマインドと引き換えに
楽園を失った訳です


楽園を取り戻すためには
「マインドとこころ」の活躍は
あまり期待できません


「ハートを使った交感」が
必要となります


それは「言葉と表情」を使わない
交感であって、喜びです


意外にも、それはとても簡単です


たとえば
動物やペットと接する時
自然の中にいる時
好きな人と一緒にいる無言のひととき
好きな趣味をする時


そこに言葉と表情は必要ありません


飼っている動物などは
言葉も喋らず、微笑むこともしません
なのになぜ、私たちを、あれ程
幸せにしてくれるのでしょうか


そこでは
ハートの交感が
自然に起こっているのです


しかし、マインドはそれらの交感を
意味のないこと、価値のないことと
決めつけます


「それに何の意味があるんだ?」
「それは何かの得になるのか?」
「下らないことで時間を無駄にするな」


そのマインドの声に
私たちは、流され
頻繁に起こるハートの交感を
なんだか無駄でつまらない事のように
感じる訳です


マインドの声は
あまり気にしないで下さい


ハートの交感時には、心臓の感覚を
意識的に感じ取ってみると良いです


その時、私たちのハートは
痛いほどに感じている筈です


本物と言われている覚者
ラマナマハリシやニサルガダッタ
OSHOなどの普段の様子は
少し不安になる程に無表情です


彼らの無表情を見ていると
「実は悟っても楽しくないのか?」と
勘ぐってしまうくらいです


ラマナの場合、無表情なだけでなく
言葉を喋らない沈黙の時間が
とても多かったようです


OSHOにしても、弟子の前で
まったく喋らない期間が何年も
あったようです


しかし、彼らがそうしていたのは
弟子との間に
「マインドやこころを介さない交感」
「言葉や表情を介さない交感」を
試みていたからだと思われます


彼らはこの時、集中的に
ハートの交感を
教えていたのかも知れませんね


そして、今の私たちにとって
それをする事は、たやすいことです
交感の感覚に、慣れてきたなら
一日中発動してみて下さい


好きな人に対しても
嫌いな人に対しても
野生動物や植物
石や壁や自動車や太陽に対しても
おこなってみて下さい


もちろん「こころ・マインド」では
好きな人の事は、好いて
嫌いな人は、嫌って
危険な人は、避けていいのです


それと同時に、全てのものを
ハートで交感してあげて下さい


その時に、現れる笑顔は
マインド由来ではなく
ハートから湧き上がるものです
それは、まるで向日葵の花です


そして、そこに降りてくる恩寵は
「マインドやこころや言葉」では
翻訳する事はできません


「ハートの喜び」を感じることで
恩寵を知るのです

 

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