スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

心-②  ブサカワのこころ


前回の記事では
「こころ」は美しくないと書きました

確かに「こころ」は
利己的であり
強欲であり
妄想たくましいプログラムです

ですが実は、健気でもあるのです

私たちの身体の為に
それが、安全で快適であるように
長い間、繁栄するように
彼らは、懸命に働いています

それは、例えるならば
「ブサカワのパグ」のようです
美しくはないですが、彼は忠犬なのです
意外と、かわいいです


そんな彼も、スピリチュアルでは
いつも、悪者扱いです


私たちが、彼の事に気を取られ過ぎて
彼と一心同体になってしまうから
「迷いの世界」に入り込んでしまうのだ
と、仏教では言われています

つまり、スピリチュアルや仏教では
私たちが、分別の世界(こころ)と
同化しているから苦しいのであり
さっさと無分別の世界(無心の世界)に
来なさいと勧める訳です

つまり、9割の世界を
さっさと捨てろというのです


しかし、簡単に捨てる事は困難で
私たちはいまだに、殆どの時間を
彼(こころ)と過ごしているのです

ですから当然、彼との生活が
楽しくないのならば

残りの1割の無心の世界の中で
僅かな時間、幸福を味わったとしても
9割のいつもの時間に戻った時には

むしろ
そのスピリチュアルな幸福の方が
夢であったかのように空疎に
感じてしまう訳です


本格的なスピリチュアルであれば
あるほど、全体の9割を占める
「こころの世界の幸福」には
ほとんど無関心です

そしてこれが、スピリチュアルでは
案外、人を救えない事の
一つの大きな理由なのです


また、「スピリチュアル領域の幸福が
こころをも幸福にする」かのような
紛らわしい説明をすることもあります

ですが
無心の幸福が、こころを幸せに
することは、けしてありません
それは
星空の美しさを「昼間に感じろ」と
いうようなものです


現実的には
「こころ」を幸福にするために
個別に、世話をする必要があるのです

そして、彼(こころ)の幸福の為には
私たちが得をして、優遇される必要が
ある訳です、それが彼の食事なのです


有効な世話の仕方は二つあります

一つ目は
「適度な努力」や
「適度な一生懸命」により
こころの幸福のベースを作ること

二つ目は
「心地よい価値観を持つ事」です


まず、一つ目の努力と一生懸命ですが
とてもスピリチュアルらしからぬ
単語です

しかしこれは「こころの幸福」にとって
とても大切なものなのです

なぜなら
「努力と一生懸命」というのは
一番効率よく
「願望の引き寄せ」を起こすからです

願望引き寄せのポイントは
「この願望」は
「あたりまえのこと」なのだと
自分に思い込ませることにあります
そうなるとあなたを取り巻く世界が
動く訳です

その思い込ませる事においては
「努力と一生懸命」が一番効率が
良いのです、誰もが努力をした後には
その願望が、近づいている感覚を覚え
ある時それが
「あたりまえ」の事に変わります
それが、達成した瞬間です

努力という推進力で、私たちは
得をし、優越し、領土が拡張し
「こころ」は幸せになります

ただ
こころの幸福のベースとしては
持続可能な範囲での
適度な努力と一生懸命が良いでしょう
恒常的に少しずつ「得」をするのです


少し現実的な話をすると

現代では、どの国の政府も、必ず
「適度な経済成長」をするような政策を
取っています

これは、国民が一年間一生懸命働いて
働いた以上に、毎年少しだけ得をする
という事実が
「国民のこころに幸福感を与える」
ということを、経験上
為政者らが知っているからなのです

損得で動く経済の世界は
心の世界ととてもよく似ている訳です

その証拠に
この政策が上手くいっていた
戦後から80年代までは
日本には、明るいムードが
行き渡っていました


そして
こころの幸福の二つ目の対策は
「心地よい価値観を持つ」という事です

無心の世界、悟りの世界では
世界には善も悪も無いといいます
そのとおりです

しかし、こころの世界では
心地よい善意の価値観を持つ事も
また重要なのです

それがたとえ
良い人を演じるための偽善であった
としても
無心の世界からみれば
幻想の価値観であったとしても

それを重々解った上で
演じると良いでしょう

いま世界に存在する
良い価値観や道徳律というのは
「本物」ではありませんが

「こころ」の世界の中にあっても
なんとか「無心」の行動をする為に
作られた「本物を模したもの」なのです
それは、先人たちの知恵です

そして
その価値感の基準で得点を取れば
たとえ幻想であったとしても
「こころ」は得を得られるので
幸せにもなります


そして、ここで気づくのは
「適度な努力で恒常的に得をする」
「善意の価値観を持つ」というのは

静かに平安に暮らしている人達の
特徴でもあるのです

スピリチュアルな人たちは
これを「幻想」または
「本物を模した幻想」であると
解った上で、演じるとよいです

「こころ」は幸福を感じますし
分別の世界にも取り込まれず
無心の幸福に進むための障害にも
なりません


そして
最後のまとめとなりますが

「こころ」の平安の為には

無心だけにフォーカスをした
スピリチュアルな甘言に
あまり、惑わされずに

常時、「適度な努力」で
少しの「得」を得る、そして
「心地よい価値観」を使う
というのを

幻想と知った上で
確信犯的に行うと良いでしょう


そして、たまには
少し「悪い人」になっても良いのです
時には、いい人でなくても良いのです
利己的で強欲な「こころ」という名の
パグを責めないようにしてください


「悪い気持ち」や「貪欲な衝動」
「良い人を演じる打算」は
ただ、あなたを守ろうとして
パグが吠えているだけなのです

朝晩、散歩に連れて行くように
定期的に遊ばせてあげて下さい

また、そのための
「適度な努力と疲労感」は
私たちの「こころの浄化」ともなり
残り1割のスピリチュアルにも
きっと良い影響を与える筈です


ただ
こころの世界の幸福や
分別の世界の幸福というのは
「どうしても苦手だ」
「私のシビアな現実には
どの既存の価値観をあてはめても
幸福にはならない」
と感じている人もいるでしょう

そういう人たちは
そのくそったれな既存の価値観とは
おさらばをし、大手を振って
無心無私の道へと進んでください
シビアな現実自体には
色も意味もない事がわかります

そこは、少し険しいですが
本物の幸福への王道です