スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

笑顔を見るために


私たちが生きていく為の
モチベーションの一つには
「好きな人の笑顔を見る為に」
というものがあります

これは、本人が自覚しているより
割と大きい比重で、私たちの中に
存在するように思います


例えば、恋人の笑顔が見たくて
料理やお洒落を頑張ってみるとか
親の笑顔が見たくて
勉強を頑張ってみるとか
友達の笑顔が見たいとかです

確かに、笑顔を見ると
人は癒され、救われます

笑顔の多い家庭や職場というのは
素晴らしいものです

ですが、あまりにも
その笑顔に捕らわれ過ぎていると
それを獲得する為に
際限なく、頑張りすぎてしまう
また、少しずつ
笑顔が起こる為のハードルが
上がって行くことに
疲れ果ててしまうという事態も
起こってきます

意外に、これで疲れている人は
多いのではないでしょうか


なので、私たちは
私たちの大好きな笑顔の本質を
見極める必要がある訳です


笑顔とは、本当は何者なのでしょうか
少し見ていきたいと思います

まず「ほんとうの笑顔」というものが
いつ現れるかと言うと
大抵は、願いが叶った時や
不安を取り除かれた時に出現します

つまり、上昇したいという
「望み」のベクトルも
満たされた結果、消えて
下降してしまうかも知れないという
「不安」のベクトルも解消され
「こころ」が無重力で静止状態に
なった時に起こる訳です

このベクトルというのは
意図であり想念です

つまり
この笑顔が起こっている時間というのは
想念がなくなっている瞬間であり
ノーマインドの時間なのです

それは、想念の雲が途切れた状態であり
雲間から恩寵の光が差してくる場所です
そのため、私たちは
この「好きな人の笑顔」に対して
「輝くような印象」を受ける訳です


普段の私たちは
誰かの「笑顔」を素敵だと感じる時
笑顔を見せるその人の人間性や人格が
素晴らしいからなのだと、考えがちです

しかし、実際には
そこに人間性や人格の空白が現れるから
または、想念が消失しているから
素晴らしさを感じている訳です

人格や人間性というものは
例えるなら
「読み終えた本」のようなものであり
それがどんなに素晴らしいもので
あったとしても
それはもう終わったものであり
想念という過去の情報なのです

それに対して、光を感じる空白は
「常に新しい何か」なのかも知れません
ブッダは、この空白の事を
「空」と呼んでいます


結局、私たちは無意識のうちに
笑顔の中にノーマインドを探し
「想念の雲間から差す光」を
探している訳です


ただ、その綺麗な光点を見たいが為に
好きな人や他者に対して
望みを叶え過ぎる、または与え過ぎる
不安を取り除き過ぎるというのは
お互いにとって
あまり良い事ではありません

お互いが、望みや不安に対し
余計にフォーカスをしてしまいますし
雲にエネルギーを与えてしまい
際限がなくなり
それを取り除く作業に疲れ果てます


ではどうすれば良いかと言うと


私たちの本心は
望みの達成や不安の解消がしたい
という訳ではなく
その想念の雲の裏にある青空を
感じたいだけなのだと
理解することが肝要なのです

そして、それは
私たちが何もしなかったとしても
根源的に、いつも存在しているものです


好きな人の笑顔を見る時
自分の笑顔を感じる時

そこで
雲や想念が、どのように晴れたかを
気にするのではなく、意識的に
青空のみを感じるようにして下さい

宝石を包み隠している包装紙に
意識を向けるのではなく
宝石自体を感じるようにします

自分の見たい本質だけを
恩寵の光だけを感じてみて下さい


それにフォーカスし
それと親しくなることが出来れば
その光は、いつでもどこでも
どの方向にも存在していることが
分かるようになります

その光を遮る望みや不安などは
霞のように儚い「力の無いただの物語」
だったのだと、私たちはやがて知ります

そして、それに気づいた時
私たち自体も青空になれるのかも
知れません

 

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