スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

天然の覚者


この身体は、ごく稀にですが
瞑想がとても上手くいく時があります

また、瞑想をしようと思っていなくても
なんの前触れもなく
恩寵のようなものが降ってくることも
あります

その時は、とても気持ちがいいです


しかし、必ずと言っていいほど
その翌日には「揺り返し」や
「反動」がやってきます


その日は、なぜか
心が、ひどく荒れた感じとなり
イライラし
マクドナルドとかコーラとか
ジャンクフードなども
体にあまり良くなさそうなものを
無性に欲してしまいます

たぶん
こころやマインドが、静かになる事を
拒絶しているのでしょう
自我が、消えたくないと叫んでいる
のかも知れません


また、瞑想を長年している
何人かの知り合いにも
何週間もの間の変性意識と
心が静止した世界に滞在するといった
現象が起こりました

しかし、やはり彼ら彼女らも
結果的に、刺激のある心の世界に
戻ってきています

本人たちも
「戻ってきちゃった」とか言っていて
周りの人たちも
残念がったりしています


もしかすると
瞑想やスピリチュアルを目指す人は
自我やマインドが強い人が
多いのかも知れません

なんといっても
私が悟りたい
私が救われたい
私が誰かを救いたい
世界の秘密を知りたいと
思っている訳ですから
かなりの想念、かなりの傲慢です


それに比べて
「天然の覚者」と言えるような人たちも
世間には存在します

どんな人達かというと
それは、ちょうど宮沢賢治の詩の
雨ニモマケズ」に登場しているような
感じの人物たちです

まあ、この例は創作の中のことでもあり
少々個性的な訳ですが
実際には、もっと自然な形で
社会の中に点在します


彼ら彼女らは
自我が薄く、いつも朗らかで
他人をジャッジする事はありません
自分を責める事もしません
意外にも、それほど感情が豊かという
訳でもありません

「悟り」や「スピ」からも自由で
「救い」や「救われ」からも自由です


私たちが、彼らや彼女らと
接触した時は、救われた感じを覚え
同時に「嫉妬」も感じます

「彼女は素晴らしい、しかし
私は、彼女のようには成れない」と
その時、思うのです


どのようにすれば
彼女のように成れるかも分かりません


しかし、ここでよく考えてみて下さい

彼女は、あなたの意識の中に存在します
そして、あなたの意識の中以外には
けして存在する事は出来ません

つまり
彼女はあなたと隔絶した存在ではなく
むしろ、あなたの構造の一部なのです


私たちが、いまだに
こころの世界や分別の世界で
生きているがために
「あなたの構造の一部」を
それは別人格である、とか
または、詩の中の人格であるとかと
何かが、翻訳し表現している訳です


そして私たちは、実のところ
彼女たちをよく知っています


彼女たちは、一見
実在しているように見えますが
その本当の姿というのは
私たちの意識世界の中での
「雲の切れ間」なのです

それは、あなたの世界の「想念の雲」が
途切れたポイントであり「空白」です


その空白から、私たちの曇天の世界に
一筋の陽光が差しています


あなたは、あなたの意識世界の中で
「自分の想念の雲が途切れている部分」
を、別人格の「天然の覚者」として
解釈している訳です

場合によっては、それは
違う表現になる事もあるでしょうし
その気になれば、その空白ポイントは
数多く見つかります

天然の覚者は、いたる所にいるのです
それは、人であるとも限りません

そして、私たちがこのトリックを見破り
その本当の姿に納得したならば
世界は、少し違った見かけを現します


いつもの曇天の雲たちにも
なぜか、少なからず興味を持ち
そして、それを
愛してしまう私たちですが

私たちが、空白を見る時
その瞬間だけは
私たちも
空白になっているのです