スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

動物と神の言葉

 
ここ十数年で
動物や植物と人間の関係が
とても近くなってきていると感じる
人たちが、増えています


公園にいるスズメやメジロ、カラス
川や池にいるカモやヘビやカメ
家の中でたまに見かける
ハエトリグモやヤモリ

彼らは昔に比べ
人間が、そばにいたとしても
とてもリラックスをしています

これは、野生の動物や植物が
少しずつ心を開いているというより

彼らの言葉を理解する人間たちが
増えた為に、動物たちも少しずつ
その状況に対応している感じです


経典化された仏教などでは
畜生道」という言葉もあり
まるで動物が人間より劣っている
という扱いですが、それは
たぶん学術仏教の誤解でしょう

当のブッタが悟りを開いた時
いの一番に集まって来たのは
野生の動物たちだったというような
話もあり、彼らは人間などよりも
本物を見る目がある可能性があります


また、現代の覚者ラマナ・マハルシの
アシュラムでは、そこで修行や
ラマナの話を聞く人たちから
お金を取ることはありませんでした

また、そればかりか
訪れた者はだれでも無料で食事が
出来たそうです
そしてそれは、人間だけに限定した
ことではありませんでした

アシュラムの中に入ってきた牛や
野生動物にも食事が出されました

そして、その後、彼らは
当たり前のように、じっと
ラマナの話しを聴いていたそうです
写真も残っているようです


動物や植物はけして人間より
劣っている存在ではありません
まったく対等です

そして、彼らは
本能に乗っ取られている時以外は
人間よりも
「神の言葉」や「悟りの波長」に
堪能です

その言葉が、どんなものかと言えば
ジャッジ無しでただ存在を認めるもの
言い換えれば「条件なしの愛」です


ペットと過ごしている人たちは
理解されていると思いますが

彼らは食事を貰えるから人間に
懐いている訳ではありません
お互いに条件なしの愛の交感が
出来ている時
人間に懐いているのです

また、ペットでなくても
野生の動物や植物たちの中にも
人間に対し、条件なしの愛の交感を
試みるような
先進的な子たちも存在します


確かに動物たちは、本能に支配
されている場合も多いですが
逆に、彼らから見た人間というのは

想念や価値観という
亡霊のようなものに取り憑かれ
我を忘れて右往左往している
少し可哀想な動物に
見えるのかも知れません

しかしだからと言って利口な彼らは
人間を見下している訳ではありません
むしろ、リスペクトしています
理性や器用さや可能性に期待しています

神の言葉や悟りの波長に堪能になり
真っ当な生物のオサになることを
期待し、祈っています


人間たちも少しずつそれを理解し
世界や生き物に対する共感が
増しています、成長しているのです

わずか30年前には
百貨店には国内外の毛皮メーカーが
大きな売り場を構えていましたが
今ではまるで見かけません

みな当たり前に毛皮を避けます

また、今では普通にヴィーガン
ベジタリアンの人が大勢います
そして、少し前の健康や美容の為
というよりも
世界の苦痛を少しでも減らしたい
という動機が増えているように
感じます

人間も少しずつ「動物や神の言葉」を
理解し始めているのです


世間では「ベジタリアンは野菜を
殺しているじゃないか」という意見も
あるようですが、森や植物というのは
「生き物を養う」という意識が強く
たとえ食べられたとしても
殺されているとは思っていません


世の中は私たちの行動で
変わっていきます

ベジタリアンが多くなれば
食肉業界は衰退し
家畜の苦痛の総量は減るでしょう

現状のあまり性能のよくない
合成皮革に変わって
本革と遜色ない合成皮革の製品も
開発されつつあります

また、動物だけではなく
現代の人間も国や地域や業種によっては
奴隷のような扱いを受けている場合が
あります、私たちがより共感を磨き
そんな環境で作られた製品や
それを扱う企業や国を避ければ
そのシステムは成り立たなくなります

恐怖や憎悪や嫉妬を煽るメディアも
それを避ける人達が増えれば
広告収入が減少し
そのやり方も成り立たなくなるのです

人の精神に応じて世界は変わります

実際、人間が成長していき
神や動物の言葉、つまり共通語に
馴染めば馴染むほど
世界は良い方向に動いていくのです


また、この共通語の先生というのは
動物や植物や雲や石な訳ですが
街にいる人間達でも共通語を話している
者たちは大勢います

そして、やはり最初は
「人間が話す共通語」の方が
私たちにとって理解しやすいものです

しかし、この共通語は
恋人だから優しくする
友達だから親切にする
お客さんだから丁寧にする
といった文脈ではありません

その言葉は
条件のない愛の交感であり
ジャッジ無しの寛容なのです

街の中でも自然の中でも
多くのこの「言葉の無い会話」が
起こっています

その事実に気づいた時
私たちは大きな恩寵や祝福を感じます


あとは、本当に気付くだけです
私たちは、神や動物が使う共通語を
すでに喋り始めているのです

 

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