スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

マインドを追い越す何か


マインドの働くスピードに対し
私たちの行動が、遅れている場合

私たちは、常にイライラして
とても気分の悪い状態になります


この時、スピードに勝るマインドは
私たちの先回りをして
世界に現れる全ての事柄に
「これは、こうあるべきだ」
「あれが、不足している」
「このように変更する必要がある」と
課題や宿題を張り付けていきます

そして
先回りされた私たちが
その時、目撃する光景は
見渡す限りの
「課題や不満の山」となる訳です

私たちは急き立てられ、追立てられ
マインドが指定する課題を
こなし続けていきます

彼が指定する通りに事が運べないと
不快なイライラが溢れ出します


ここで一つの疑問が湧きます

なぜ、マインドは、私たちに対し
このような課題を作り続けるのかと

それは、彼らの仕事が
「足りないものや不完全なものを
ひたすら探す」
いうものだからなのです

私たちが生まれ、初めて身体に
マインド(こころ)が芽生えた頃

生まれたばかりの幼いマインドは
身体の安全を確保する為の
小さなセンサーのようなものでした

そして、身体が安全である為には
身体の性能や周りの環境が
より完璧である必要があった為

安全にとっての不安要素である
「不足や不完全や不遇」を
絶えず探すようになっていった訳です

つまり、危険や不足を探すだけの
「ただのセンサー」が
「あるじ」の様に振る舞っているのが
今のマインド(思考)だという事です


そして
そのマインドのスピードに先行されると
対処しなければならない
「不足や不完全」がどんどん増えていき
私たちはまるで

使役された奴隷のようになります

私たちはひどくイライラし
ネガティブなものばかり見せられ
落ち込んだ気分になるのです

ただ、私たちも
マインドのスピードに対し
いつでも、大きく
後れを取っている訳では
ありません

調子のいい時には
マインドの仕事をするスピードに
追いつき、そして併走し、そこに
均衡のとれた状態が出来る事もあります

それは、いわゆる「普通の状態」です

その時の課題の量は
処理できる範囲内です
また、課題が上手くいって
マインドの作った基準を上回っていれば
マインドに評価をされます
その時、私たちは喜びます

周囲からの評価も
マインドがそれを承認すれば
ポイントとなります

苦もあり楽もある普通の状態ですが
やはり、それでも私たちは
「マインドの支配下」にあります


私たちは、マインドのスピードを
超える必要があるのです

マインドが物事をジャッジする前に
マインドが仕事をする前に
私たちが「先に」行動を起こします

なにもこれは、考えなしに
でたらめで、無謀な行動をとる
という訳ではありません

心地よい方に
ただ、よいと感じる方に
自動で身体が動くように
行動するのです

人は、予測できない緊急事態が
起こった場合、とっさに
マインド無しの行動をします

目の前で、急に人が倒れれば
多くの人は、マインドより先に
行動を起こします
この時、たとえ
マインドが動いていたとしても
あなたが、それを機能として
使役しています

ただよいと感じる事をする感覚
自動で動く感覚
天に動かされている感覚

これらの感覚をもって
マインドより先に行動します

その時、私たちは「不安や不足の素」を
既に、追い越していますので
もはや、イライラする事はありません

苦しくも、悲しくもありません
たとえ、失敗をしても
マインドがそれを叱責する前に
ただ淡々と、対処すればいいのです

この名状しがたい爽やかな感じが
ノーマインド状態の行動です


通常、ノーマインド状態というのは
瞑想などで目指すことが多いものですが
このマインドのスピードを
超えた日常の行動こそが
本物の生きたノーマインドと言えます

私たちは、その時
本物の自由を行使している訳です

そしてこの時、大事な問いが起こります

このノーマインドの行動している主体は
一体何者なのだろうかと

「何が行動しているのか」
それを静かに感じ取ってみて下さい

私たちは一般的に
マインドを「私」だと思っています
しかし、この時の行動は
マインドを追い越しているのです

つまり「私」が
行動している訳ではないのです

「私」を追い越していく何か
「私」が消滅しているその時

もしかすると

真我や天や神と言われるものが
行動をしているのかも知れません