スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

目覚めた人が見る世界


私たちのような
普通の人たちが見る世界の風景と
覚者と呼ばれるような人たちが
見る世界には、なにか
違いはあるのでしょうか

実はそこには
かなりの違いがあるようです


まず、私たちが見る世界ですが

それは、大体において
映画的で、ドラマ的で、アニメ的です

その世界には
物語が始まる原因や因果があり
必ずストーリーがあります

映画やドラマ程大袈裟ではありませんが
私たちの世界でも、ささやかな
喜びや苦しみ、笑いや涙、希望と絶望
愛情と憎悪などが散りばめられています

といいますか
私たちの世界の見え方を模倣したものが
映画やドラマであるので、この二つが
似ているのは、当然ですね


そして、その世界に必ず登場するものは
「主人公とそれ以外の人々」
それから、作品全体に流れる
「雰囲気や考え方や設定」です

これらは、スピリチュアル的に言うと
「自と他と価値観と思い込み」
という事になります
つまり、これはもう
マインドの特徴そのものである訳です

映画は、マインドの相似形なのです

そのような理由もあり
私たち(マインド)は必然的に
映画やドラマにとてもよく似た
「マインドが見る世界」に熱狂し
ストーリーのある人生に取り込まれ
いずれ、疲れ果ててしまう訳です


それに対して、目覚めた人の見る世界は
「絵画的」なのです

題名も説明もない絵画を
順々に見ていく感じになります

そこには、因果律も無く
主人公も脇役も登場せず
言葉も概念もありません

ただ「ありのまま」なのです

とても透明で静かな世界です
そこでは、音楽も流れているかも
知れませんが、歌詞の無い音楽です

その世界の事を
情熱も抑揚も無い「退屈な世界」だと
私達(マインド)は感じますが

何処から来たかも判らない価値観や
誰が決めたかもわからない基準に
けして裁定されない
「ありのままだけの世界」であり
幻想という悪魔のいない世界になります


そして、ちょっと良い事も起こります

そこは、人称の無い世界でもある為
私も他者も、誰も存在しません
人々は存在しますが、それはあたかも
意識という花壇の中に咲く
花々のようです

そして、覚者は世界そのものの為に
自然に行動することができるのです

もちろん、覚者の身体は存在しますが
それも、世界の一部なのです

 

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