スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

自動的な楽園

私達は自由意志で動いているのか?
それとも、この世界は
全てが予め決められている世界なのか?
という問いがスピリチュアル界隈では
よく起こります


答えは
自由意志自体は最初から存在せず
そして世界は何も決められていない
になります


なぜ、自由意志があるように見えるか
というと
それはマインドの特性に因ります


例えば、今日は休日で
今の瞬間あなたは、「海が見たいな」と
思ったとします
そして、ふらりと一人で海を見に
出かけたとしましょう


あなたは、この時
自由に発想し、そして
自由に行動したと思っていますが
最初に起こった「海が見たいな」と
いう発想には、本当に
自由はあったのでしょうか?


無限の選択肢の中からあなたが
自由に選択した事なのでしょうか?
そうではない筈です
その発想はいきなり単独で登場しました
あなたの許可もなく
あなたの選択でもありません


そして、いきなり登場したように見える
その発想も実は
その発想の元となった記憶があり
その反応のきっかけとなった事柄が
あります
そしてその記憶にも引き金の事柄にも
さかのぼれる原因があります
そしてその原因にも原因があります
それは無限に続いていて
そこにあなたの関与や裁量はありません


ですが
物事を区切ることでしか捉えられない
マインドは
その発想の発生を起点だと区切ります
そうすると、あなたは無から自由に
発想を作り出したように感じるのです


実際には世界は細切れではありません
つまり
全ては自動で起こる無限の流れであり
あなたはその流れをコントロールする
権限も自由も持ち合わせていないのです
ただ、マインドがその流れを切断し
その一部分を区切ることで
自由があるように演出している
言わば、マインドの遊びなのです


しかし
私達は自由意志を奪われることを
とても恐れています


まるでそれを取り上げられたら
監獄に入れられてしまうように感じて
います
しかし、本当はむしろ逆なのです
自由意志を意識するあまり
苦しみと深刻を招いています


自分の自由意志に因って全てが決まる
と思ってしまっている為に
全ての選択が慎重で深刻になってしまい
ストレスという苦痛を抱えてしまって
いるのです


本当は
気楽にベストを尽くし
後のことは考えなくて良いのです
「人事を尽くして天命を待つ」という
言葉もありますが
これの明るく気楽なバージョンで
良いのです


自動性に身をゆだねるのです


そして、そのベストを尽くす者も
マインドであって、あなたではありません


例えるなら
マインドは、タクシードライバーです
そして
本当のあなたは、タクシーの乗客です
通常では、あなたはタクシードライバー
に同化してしまっているので
ドライバーがブレーキを踏むと同時に
いちいち自分の足に力を入れ、
ハンドルを回す動作に神経質になり
交通状況に憤慨するドライバーに
同調して本気で憤慨する為に
へとへとに疲れ果ててしまっています
本来なら
楽な気分でシートに寛いで深く座り
流れる風景を楽しむことが出来るはずです


あなたは本来の乗客に戻るべきなのです
そして
この乗客は行き先の指定もしないし
ドライブに何も介入しない
評価も批判もしない乗客
ただ流れる風景を楽しむ乗客です


この場面でよく提起される疑問で
本当の私とはただ流れに翻弄させられる
木の葉のようなものなのか?
というのがありますが


この翻弄という言葉やこの疑問自体が
湧くという事は
流れに逆らって自分がコントロール
しようという意思があるため起こります


そこは
「流れに流される」と捉えるより
「波に乗る」「風に乗る」と
捉えて下さい


サーフィンやセーリングなどは
波や風自体をコントロールする
ことは出来ません、ですが
ただそれに乗せられているだけなのに
びっくりする程の快感を得ることが
出来ます
勿論、上手く乗せられる技術は必要ですが


また、巷では「引き寄せ」などが
流行っていますが


自動性の波を信頼し、ゆだねると
自分の想定しないような大きなギフトが
自分の想定しない方向から
頻繁にやってくるようになります
これが自動性の波に乗れたサインです


自分が想定し望むギフトなどは
それに比べればたかが知れているのです


この自動性の波を認識しだすと
まるで自動楽園で遊んでいるような
感覚になっていきます


そして、この感覚が分かるようになると
「本物の俯瞰」も出来るように
なるのです


瞑想で無理やりする俯瞰は
マインドの分割になってしまう事が
多いのですが
自動性がわかると真の俯瞰が出来る
ようになります
というよりも
自動性の理解と俯瞰は表裏一体なのです
タクシードライバー(マインド)を
見つめる乗客の視線が俯瞰な訳ですね


自動性の波の理解が進み
真の俯瞰が上手になり
それに加え、個人性の幻想性が
暴かれてゆくと


あなたは、自分が
大いなる流れそのもの
大いなるエネルギーの流れそのもの
のように感じてくるでしょう
または
自分を全ての世界を照らす太陽のように
感じるかも知れません
あなたは全ての世界の自動の流れを
ただ何の評価もせず、認識の光で
照らしているのです
太陽が、ただただ世界を照らし
世界の全ての生き物や無生物に
恩恵を与えていることに似ています


でもあなたはただ静かな神になって
行くだけではありません


あなたは本当のあなたであると同時に
生きている限りは、身体と魂という
純粋な個人性も持っています
あなたは仕組みが分かった上で
身体と魂が自動楽園で遊ぶことを
観賞し楽しむことが出来るのです