スピリチュアル自動日記

スピリチュアル.悟り.瞑想.についてメッセージを発信します

人材派遣とスピリチュアルと幸福

昭和時代には、わりと
大人らしい大人が多かったように
記憶しています


そのような大人の人は
才能のある成功者を見て
「ああ、彼はすごいね」と微笑みますが
どこか達観していて
「才能と成功=その彼自身」なのだとは
あまり思っていない感じでした


また、失敗した者やダメな人を見ては
「ああ、ダメだね」と微笑みますが
「無能や失敗=その彼自身」とも
思っていないようでした


成果と人物を過度に同一視しない
そんな大人が、わりと多くいたように
思います


そして、その時代は
成功者や失敗者自身もあまり
「能力=自分」とは思っていない
おおらかな時代でした


その証拠に
昭和時代の企業は年功序列の社会で
成功しようが、少々失敗しようが
あまり関係なく
年と共に地位は上がって行くものでした


社会の集合意識が
成果と人物の良い具合の分離を
了承していたようです


今現在では
当時の年功序列の社会というのは
少し古臭い時代遅れの制度のように
思われていますが


スピリチュアル目線でみると
まともで知恵のある制度だったと言えます


有能や成功は、彼のものではありませんし
無能や失敗も、彼のものではありません


そんな昭和時代も
小泉純一郎氏と竹中平蔵氏が
為政者になってから
少し流れが変わってきました
実力主義社会になったようです


彼らが法的に解禁した「人材派遣業」は
今では当たり前のようになっていますが
それ以前は、「口入れ稼業」と呼ばれ
ヤクザが取り仕切る違法で禁忌な稼業
でした


彼らがこの業種を合法にしたあたりから
正社員社会と年功序列制が
崩壊しだしたようです


そして、昭和の頃よりも
「能力=その人自身」だと見る風潮が
増しています


これは、スピ的には幼い社会です


また、人々は、毎日
小さな幸不幸を感じるものですが


その人の幸福のムードと言うのは
長いスパンでの幸福感の差異で
決まります


つまり
一昔前の自分より今の自分が
少し良くなっている、そして
将来はもう少し良くなるだろう
という予感や保証が
幸せのベース、雰囲気なのです


小泉氏や竹中氏は
これらの多幸感発生装置を壊しました
万人に薄く広がる幸せのムードを
消したようです


しかし、こんな殺伐とした環境は
スピリチュアル的な進化を促します


昭和の時代には
先人の知恵の制度
既存の幸福を広く浅く広める制度を
直感で理解できるような
ある程度達観した大人達がいましたが


今の時代の新しい人々は
子供から大人までの広い層で
昭和の達観を超えた達観を
模索しているように感じます


それは幸と不幸を超えた幸福
「超幸福」を探しているように見えます


幸と不幸は、実は
「呼吸」のようなものです


呼吸は吸ってばかりでもいられませんし
吐いてばかりでもいられません


幸せを吸ってばかりの人達もいるように
思うかも知れませんが
吸ってばかりだと、実は
恐怖ばかりが溜まってゆきます


吐くことは、損や不幸ということでも
ありません、吐く事で体内は綺麗になり
吐いた後には愉快な感覚が待っています


そして、探求や瞑想を続けていると
その呼吸は自分がしているのではなく
「自動的に」起こっているのだと
気づく時がやってきます


その自動性に気づいた時
幸と不幸の差から来る快感でなく
「理由のない快感」を感じます
それが「超幸福」の片鱗です


これからの時代
やって来ては去ってゆく
繰り返しの幸と不幸を
幼い幸福だと達観する人たちが
増えていくでしょう


新しい時代は
私たちの根底に常に流れる
「超幸福」のフィーリングが
新しいベースとなります